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親鸞さん、850歳の誕生会

4/29に「はじまりの集い」の日を迎える、カンファ・ツリー・ヴィレッジ。プロジェクトの発端や経緯、趣旨については、先日のnote記事に詳しく書いたところだけれど、今回は、もっと主観的な視点から続編を書いてみたい。

このイベントは、武蔵野大学主催でありながら、京都・西本願寺、親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年慶讃法要における協賛行事、として行われる。簡単に言えば、「親鸞さんの850歳の誕生会」の枠の中で行われるものだ。

少し、不思議に感じる人もいるかもしれない。お寺といえば、一般に、お葬式、法事、お墓・・・といった「死」にまつわることがまずイメージされると思う。しかし、今回は、親鸞さんの850歳のお誕生パーティだ。そう、別に、お寺=死にまつわる儀式専門、というわけではないのだ。そのことをもって、「お寺は悲しみの場だけでなく、おめでたい場にもなるのだ」と表現することもできるけれど、またちょっと違った観点からは、「お寺は、人が死ぬことだけでなく、人が生まれることにも、目を向ける場所なのだ」とも言える。

今回、そうした親鸞聖人御誕生850年という機縁に、カンファ・ツリー・ヴィレッジの「はじまりの集い」が催されることになったのは、偶然のようでいて、必然にも感じる。というのも、カンファ・ツリー・ヴィレッジの中心に据えた「いかにして私たちはよりよき祖先になれるか」という問いには、これまで死者との出会いの場としての存在意義を中心に営まれてきた日本仏教を、これから生まれる未来の人々にも開かれていく場として構造転換する可能性が、含まれていると思うからだ。

日本仏教は、宗派の教義的には、空海・法然・親鸞・道元・日蓮・・・といった日本の仏教祖師を中心とする、祖師仏教だ。また、お寺の現場的には、死者との出会いの場としての存在意義を中心に営まれる、先祖供養仏教だ。いずれにしても、過去に生きた人に目線が向けられている。その場合、過去に生きた人とのつながりに既に意味を感じている人にとっては法要は大切なものになるが、そうでない人にとっては関係のないものになってしまいがちだ。

その点、グッド・アンセスターの考え方を経由すると、こうした宗祖の法要が、「よき祖先」の一人としての祖師たちとの新しい出会いの場として、新鮮さを取り戻すのが面白い。何がどう違うのかは、ぜひ「はじまりの集い」に来て体感してもらいたいけれど、言葉で説明するならば、私の場合は『グッド・アンセスター』との出会いを経て、3つの変化があった。

  • ともすれば「家族教」になってしまう日本仏教の「先祖教」的特徴の中和と昇華

  • 名もなき無数の祖先から受け取った恵を未来世代に受け渡す、希望と生きがい

  • 「唯一の祖師を選ばなければならない」という呪縛からの解放

項目の箇条書きだと十分に伝わらないかと思うが、上記の3点は、日本仏教が私たちの拠って立つ大きな物語としての機能を再活性化するために、今きっと必要な要素だ。「親鸞さんの850歳の誕生会」を、親鸞さんが「親族や身内だから」祝うのでなく、「歴史に名を残した偉人だから」祝うのでもなく、「私の信仰する浄土真宗の祖師だから」祝うのでもなく、「私たち皆にとって大切な、かつて生きた先人の一人と、850年経った今もこうしてつながることができる」ことを祝う場にできたら、それはこれからの伝統宗教にとっての希望だと思う。

さて、世界から集まる登壇者たちは、お一人お一人、日本とは少し違った視点から「よき祖先」について語ってもらうのにふさわしい人たちだ。

ブータン王女のアシ・ケサン妃は、ブータンツアーに参加してからのご縁で、世代的に近いこともあり、僭越ながら「友だち」と呼んでよいだろうと思える距離感で、折々にやりとりをさせてもらっている。

現在の王様の従姉妹にあたる立場、つまり、現在の王様と祖父母が一緒だ。ブータンでは女系が力を持つらしく、その共通の「おばあちゃん」がご存命で、国内でかなりの発言力を持っているようだ。そのおばあちゃんと同じ「Kesang」の名前を受け継いでいて、時に混乱するということで、近しい人たちの間では、孫のKesangということで”Baby Kesang”と呼ばれているのだと教えてもらった。とても親しみやすい人柄で、いつもどんな人にも配慮をされつつ、いつもチャーミングだ。でも、さすがブータンの王女、僧侶たちと一緒に生まれ育ってきた環境で、仏教が心身に染み込んでいるのだろう。とてもわかりやすく自分の言葉で、「ブッダ・ダルマ」のお話をしてくれる。今回は、日本の人たちにその言葉を届けられるのが、とても嬉しい。

ケサン妃の対話相手としてお願いしたのが、画師のエディさんだ。エディさんは、フィリピン系アメリカ人で、ケサン妃と一緒にブータンでタンカ絵の修復事業を担っておられ、来日時にも一緒にお茶したりした。いつも二言目には冗談を言っている、明るく楽しいエディだが、絵師としてブータンに関わることになった経緯は数奇なもので、今回そのお話を聞かせてもらえるのも楽しみだ。

ローマンは、唯一のオンライン登壇だ。もちろん、最初は「日本に来ないか」と声をかけた。なぜなら、まさに今回のプロジェクトは「グッド・アンセスター」がテーマだからだ。しかし、さすが、ローマン。以前、オックスフォードの自宅を訪ねて泊まらせてもらった時に、色々話をする中で、「飛行機にはよほどのことがない限り乗らない」と言っていたので、どうかなとは思っていた。今回のシンポジウムはその「よほどのこと」に入れてもらえるかどうか。オファーしたところ、「紹圭からのオファーだから、改めて真剣に考えてみる。家族会議も開く」ということで待っていたのだが、「申し訳ない。飛行機に乗らないポリシーとして採用しているのが、”身内の緊急事態のみ”という条件なので、やはり今回もそれを曲げる訳にはいかない」とのことだった。このエピソード自体からも、移動の多い私は大いに感じるところがあった。来日できない代わりに、ローマンはとても心のこもったビデオメッセージを送ってくれた。これを当日は皆さんとシェアできるのが楽しみだ。

マリエムは世界経済フォーラムのYoung Global Leadersのご縁でもう10年近くになる友だち。アフリカ出身で、今はイギリスに住んでいて、世界中の若い女性たちにプログラミングを自立スキルとして教える非営利事業をおこなっている。過酷な幼少期を過ごし、そうした環境を招いた母親との関係性に困難を抱えてもいたが、ある時、僧侶に出会って仏教の教えに触れたことで、母を許せるようになったという。それ以来、仏教を人生の軸において生きているというので、私は仏教つながりで友人になった。いつも、世界のどこかで出会う度に、あれこれ何気ない話をするのだけれど、そういう私との交流からもマリエムは何かしら仏教を感じているらしく、時々「You save me」と言って喜んでくれる。今回もきっとパワフルなお話を聞かせてくれるに違いない。

デービッド・アトキンソンさんは、日本在住の英国人としてすでにいろんな国内メディアでも活躍されており、説明は不要かもしれない。もちろん私も以前からご著書や新聞記事などでデービッドさんの提唱する文化政策などについて読ませていただいていたが、昨年、私が講師として招かれた少人数の勉強会で、なんとデービッドさんが参加者として座っていらっしゃり、夕食をいただきながら宗教の話などを日本語で議論させていただいたのが、対面のご縁だった。今回、「文化財」というテーマ、「祖先」というテーマで、日本のこともよく知るクロス・カルチャーな識者として、ピッタリの方だと思い、ご登壇をお願いした。英国紳士らしく、ウィットや時に皮肉も交えてのお話しをしてくださるだろう。

冒頭には西本願寺から専如門主、開会の辞と謝辞には主催の武蔵野大学から西本学長がご登壇され、来場、視聴される方々と喜びを分かち合う。親鸞さんをグッド・アンセスターとして大切に慕われるお二人から、心のこもったメッセージをいただけると思う。

ともすれば過去を生きた人に閉じている(と思われがちな)日本仏教が、本当はこれから未来に生まれる人たちにものびのびと開かれたものであり、同時に、その間に立つ今を生きる私たちの生き方を問うものであるという、そのことを今回のイベントに来た方に体感してもらえれば嬉しい。

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このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

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