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ヒューマニティのその先へ

世界中がコロナ禍に見舞われる中、2020年7月に世界経済フォーラム(WEF)のクラウス・シュワブ会長とオンラインメディア「マンスリー・バロメーター」の創設者であるティエリ・マルレ博士が共著した『グレート・リセット』は、ポスト・コロナ社会を考える上での必読書の一つ。WEFの友人を通じてマルレさんにコンタクトを取ってみたら、すぐにメールでつながった。

コロナがもたらした変化の中には、悲しむべきものが多い一方で、幾らかの恩恵もある。自分にとっては、海外との距離が圧倒的に縮まったこと。入出国できないという意味ではものすごく距離が遠くなったが、世界中のタレントへのアクセシビリティはむしろ高まっていると思う。今まで世界中を飛び回って忙しかった人たちが自宅の書斎をコックピットにして、オンラインで世界にアクセスしている。コロナ禍の今こそ、世界に出るチャンスだ。自宅にこもるのはいいとして、精神的に引きこもっている場合ではない。

恒例の県知事勉強会にマルレさんをお呼びして、著書『グレート・リセット』をめぐるあれこれを議論。『グレート・リセット』においては、Covid-19が人類に与える影響は甚大であり、人類は岐路に立たされているという認識を前提とする。その上で、マクロ、ミクロ、個人のレベルでそれが与える影響と取り得る方策について議論が展開されていく。

マルレさんは、Covid-19が人類に気づかせてくれた2つのテーマとして、気候変動と不平等の拡大を挙げていた。そして、これらの問題は(WEFが提唱するところの)ステークホルダー資本主義によって改善されていくだろうことも。事前に滋賀県からお送りしてあった、近江商人の「三方良し」に関する英語の本も気に入ってくれたようで、議論の中でもメンションがあった。今後、WEFが発信するステークホルダー資本主義の文脈で、三方良しの話が出てきてくれたら嬉しい。

マルレさんは危機に警鐘を鳴らしつつ、未来に関して楽観的(Optimistic)に見られる要素として、これまた2つを挙げていた。自然資本(Natural Capital)と社会資本(Social Capital)だ。これまでの社会では金融資本こそが価値だったが、今後その重要性は間違いなく後退し、水や空気といった自然資本や、人間の関係性などの社会資本の重要性が増してくる。

行き過ぎた個人主義の国では、ロックダウンなど強い対策を行うもCovid-19の対策としては良い結果が出ていない。そういう国において、新しい社会契約が必要となっている。本書ではあまり書けなかったが、(他国と比べると)日本の圧倒的に平等な社会のあり方、社会的ハーモニーの高さは群を抜いている。社会的不平等を放置する国が行き詰ることは、明らか。日本は今でこそGDPが必ずしも高くはないが、社会的調和を達成していることは素晴らしいと、マルレさんは評価した。

議論の中で出た「グレート・リセット」という言葉に対して反論は出ていないか?という質問に対して、マルレさんが「陰謀論者から、WEFを中心とした富裕層にとって都合の良い方向へ社会を持っていこうとしているという種類の批判はある」という趣旨の話をしてくれた。

「リセット」という強い言葉を使ったのは、それだけ強い危機感を世界の人々に促したかったからだという。しかし、リセットしたくない人たちだって、もちろんたくさん存在する。彼らにはフェイクニュースや陰謀論を煽ることによって変化の方向を混乱させたり足踏みさせたりする動機もある。世界的にフェイクニュースや陰謀論が広まる中、ターゲットの当事者側にいる人がどう感じているのか聞けたのはよかった。

ポスト・コロナ本を数冊読んだが、『グレート・リセット』は包括的で客観的で科学的で中立的なのが良いと思った。しかし、その著者をしても「なぜある国は他の国より対策がうまく行っているのか」の理由を特定するのは難しいという。例えば、中央集権での対応がいいか、地方分権での対応がいいかは、まだ結果が見えていないそうだ。アメリカ、スイス、ドイツなどでは地方政府に権限を持たせて対応したが、必ずしも全てがうまくいっている訳ではない。一つだけ言えることは、東アジアは世界の他の地域より、うまく対応できているということ。理由はまだわからない。

続けて、第一線で活躍される経営コンサルタントで、近年は推進にも関わっておられる太田直樹さんとの勉強会。エンジニアのコミュニティCode for Japanの理事を務められていることもあり、国内の施策に関わってこられたので、お話がとても具体的で勉強になった。行政におけるDXの基本的なお話は各種公開されているウェブ記事などを見ていただくとして、他ではなかなか聞けなさそうなお話をメモ。

Society3.0(工業化社会)、Society4.0(情報化社会)に続くSociety5.0(仮想空間と現実空間の融合)という流れにおいて、日本は3.0は非常にうまく行ったが、4.0で遅れをとった。他国と比べてIT人材の評価(賃金も)が低い。

“Can Digital make the world better place?”という問いに対する反応の国民比較をすると、中国では70%を超す人がYesと答えるのに、日本は20%ほどと圧倒的に低い数字が出ている。これはなぜなのかわからないが、何かしらの特徴的な国民性を表していることは確か。

昨年、僕も登壇させてもらったことのあるRadicalxChange財団の企画で実現した、ユヴァル・ノア・ハラリとオードリー・タンの対談が注目された。二人の間でも「アルゴリズム」と「コード」という見方に象徴されるように意見が分かれているように、デジタル技術がもたらす世界が最終的にユートピアなのかディストピアなのかは、まだわからない。

次世代のガバメントは、「小さくて大きな政府」だ。

地方自治体でスマートシティ化の試みが進んでいる。例えば、トヨタと豊岡市、パナソニックと会津若松市。

西粟倉では、一本一本の木をデジタルデータ化して管理する実験も。

検索データ解析によると、「スマートシティ」という言葉はSDGsと同じくらい検索されているので、注目度はかなり高待っている。

DXというと、人間がやっていることをAIロボットに置き換えて自動化すること、というイメージがあるかもしれない。実際、DXが進んだ未来のスマートシティの様子を描いた動画には、あらゆる都市機能が自動化されて、人間はもはや消費者としてしか存在していないかのような、ユートピアなのかゴーストタウンなのかわからないような映像もあったりする。

しかし、太田さんは、DXによって自動化が進むからこそ、人がいかに生きていかに死ぬのかという「死生観」を持つことが重要だと、お話しされている。これは奇しくも、昨年オンラインで僕が太田さんとご一緒することになったNTTドコモ主催の5G社会に関するイベントにて、僕がお話した死生観に関する内容を太田さんが気に入ってくださって、それ以来、太田さんもあちこちで「死生観」についてお話しされるようになったという経緯もある。

DXは突き詰めると、「この道具を使って(あるいはあえて使わずに)、私たちは結局どこへ向かいたいのか?」という問いを突きつけられることになる。単純な自動化や効率化を一直線に推し進めると、今度は、その先に何があるのかが問われてくる。

だから、民主主義のプロセスにDXが入り込むのにしても、AIが市民の代わりに意思決定してくれるのではなくて、AIによって市民の政治参加がより促されて、オンライン、オフラインを融合させた「熟議」が深まっていくような形での、DXの活用が大事なのだという話。

DXが国全体でとにかく進んでいるのは、中国。僕も一昨年に中国へ行った時に感じたが、とにかく町中に監視カメラが張り巡らされている。その結果、道端に痰でも吐こうものならものの3分で当局から警告が送られてくるような監視社会が既に現実のものとなっている。それも一つのDXガバメントのあり方だろうけど、僕らは本当にそれを望むのかどうか。

バルセロナで市民の政治参加を促したというDecidemというプラットフォームが、加古川など日本でも少しずつ活用され始めている。それとてテクノロジーを導入すればそれで済む話ではなくて、そこに暮らす人、一人ひとりの意識変革と合わさって初めて本来の民主制の精神に則ったDXとなるだろう。

太田さんの経験によれば、「私たちはどこへ向かいたいのか」という問いに向き合う力を持っているコミュニティは、すべからく反骨精神を持っている地域になるという。そういう地域には、隠れたグローバル人材がいるらしい。

行政にDXを導入すると、プロ市民が紛れ込んでしまうんじゃないかとか、地方議員の存在意義が奪われるんじゃないかとか、そんな杞憂を吹き飛ばす反骨精神のある地域から、本筋のDXガバメントの動きが活発化していきそうだ。

僕からは「DX化が遅れていると言われる日本だけれど、かつて国際開発において言われたように、先進国が通った道を発展途上が後追いしていくというモデルが、イノベーションが起こればそれが一瞬にして世界に広まるDXにおいて同じように通用するのか。後発だからこそ、先を行く国とは違う方向に発展する可能性もあるのではないか」という質問をした。太田さんも、全く同意というお話だった。DXというキーワードを突きつけられることによって、変革が促されるものがあるのだとすれば、「宗教のDX」というテーマから僕たちが持つべき問いは何か、個人的に考えてみたい。

ティエリ・マルレさん、太田直樹さん、お二人のお話に共通したのは、ヒューマニティのその先を問う眼差しだったと思う。


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