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今日も一漕ぎ

グッド・アンセスターについて、「とても壮大なテーマですが、それをどう自分の実践に落とし込めばいいでしょうか」という質問を、ある企業の学生インターンからいただいた。

確かに、グッド・アンセスターには、七世代先のことを考えるとか、大聖堂思考とか、地質学的時間軸とか、ちょっと想像もつかないような発想がたくさん登場する。「長期思考」が本の全体を貫くテーマだから、当然といえば当然だ。

なのだけど、気づけば私は学生さんにこんなふうに回答していた。

「確かに、グッド・アンセスターは壮大なテーマに聞こえるかもしれませんが、このテーマをめぐってずっと考えてきた私が今至ったところは、結局、よりよき祖先になるというのは、何か高尚なこととか意識の高いこととかではなくて、日々の暮らしや、今この瞬間の小さな小さな選択の中にしかあり得ない、ということです」

オードリー・タンさんから受け取った「How can we become better ancestors?(いかにして我々はよりよき祖先になれるか)」という問いに対し、それをさらにオードリーさん自身に質問した時に教えてもらった「未来の人たちにより多くの選択肢を残すこと」という回答。

そこには、「私たちには決して、確実にGoodな選択肢、ましてやBestな選択肢など、選ぶことはできない」という謙虚さが含まれていると思う。スギ花粉の辛い季節になってきたが、今こうして日本中の山がスギ林だらけになって荒廃しているのも、かつて「スギを植えることが未来の人たちのためになる」と私たちの祖先たちが考えたから、このようなことになっている。彼らなりに未来の世代のことを思ってやったことであり、少なくとも、未来の世代に対して集団的に悪意を持ってなされた施策ではない。

親鸞の「私は間違っている」から始まる思想はとても鋭かったと思うが、私たちは、今私たちが持っている目でしか世界を見ることができないし、それは常に限られている。今、良かれと思ってやっていることが、30年後に振り返った時に評価が真逆になる可能性も、大いにある。(そして、さらに30年経ってみると、もう一度ひっくり返るかもしれない)

そうした中、私たちにできることは、Betterな選択肢、つまり、何が本当に正しいのかも決してわからないのだけれど、それでも少しはマシな選択肢、間違っている可能性も見込みつつ、それでも未来の世代により多くの選択肢を残してあげられる方向に繋がる、よりマシな選択肢と思えるものを、一つずつ選んでいくしかない。

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このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじ…

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