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松本紹圭の方丈庵

このnoteマガジンは、僧侶 松本紹圭が開くお寺のような場所。私たちはいかにしてよりよき祖先になれるか。ここ方丈庵をベースキャンプに、ひじり仲間と対話と巡礼の旅に出ませんか? … もっと読む
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#先祖

ローマン・クルツナリック『グッド・アンセスター:わたしたちは「よき祖先」になれるか』を翻訳して

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」 このゴーギャンの有名な作品と同じ問いを、幼少期より抱いて生きてきました。社会の仕組みから一定の距離をおき、寺を持たない僧侶の道を自ら選んで20年、自らに問い続けて今日に至ります。 2020年秋、イギリスの文化思想家ローマン・クルツナリック氏と対談をするにあたって彼の著書を読み終えた時、知り合って間もない彼に「あなたの本を私に翻訳させて欲しい」と頼んでいました。「私たちは、よき祖先になれるだろうか」という本書の

死者の民主化

「喪失そのものが不確実で、失ったかどうかがはっきりしない喪失」は、あいまいな喪失、と呼ばれる。 コロナのような感染症が蔓延すると、あいまいな喪失が増える。僕の身近でも、コロナで親戚が亡くなったけれど、通常の葬儀をあげることが叶わず、家族ですら遺体に面会することが困難で、そうしたあいまいな喪失体験が心に影を落としているという話を聞いた。 しかし、この傾向は、実はコロナに始まったことではない。もう何年も前から、新聞のお悔やみ欄には「家族葬」「密葬」「会葬お断り」「遺族だけで執

「先祖から祖先へ」の転換と、新しい日本的コモンズ

ヒューマン・コンポスティングというテーマがなぜこんなにも自分の心を捉えたのか。よくよく考えてみると、それは「コモンズ」に関する問題意識につながることが、段々と見えてきた。 近年、「コモンズ」という言葉を見かけることが増えている。コモンズとは、一言でいえば、共有財だ。ある財が共有されるということは、その財が「私の財」でも「あなたの財」でもなく、「私たちの財」として成立しているということだ。そこで出てくる問題は、「私たち」とは誰か、ということ。コモンズに関する世界的な議論で、よ

仏教の書店 / 葬儀の民主化 / 鎮守の森

書こうと思ったアイデアメモが溜まってきたけれど、一つ一つ断片的だけれど、そのまま出してみる。 ◆ 大学の講義で学生さんが、北海道の「いわた書店」のことを教えてくれた。わが故郷、北海道の書店のことながら、全く知らなかったので、恐れ入る。 なんでも、「自分の趣味趣向などのカルテを入力すると、1万円で、良い本を見繕って送ってくれる」というサービスで、テレビなどでも話題なのだとか。サービスがとても人気で、今年は3,000件くらい応募があった中から学生さんは選ばれて、本を送っても

オードリー・タンが問う「良き先祖になれるか」

南澤道人老師が、永平寺第80世貫首に就任され、晋山式が執り行われた。 彼岸寺のインタビューで札幌にいらっしゃった南澤老師を訪ねたのが懐かしい。 とても穏やかなお人柄で、これからもどうかお元気で過ごされてほしいなと思う。 そういえば、東大寺の森本公誠長老も、お元気だろうか。 永平寺しかり、東大寺しかり。 今日も世界の平和と安寧を祈り続けてくださっている人たちがいる。 都市生活の中ではなかなか見えない何かで、この世界が支えられているところが確かにある。 最近はそんな

「良き先祖」がお寺の一階を再発明する

House of Beautiful Businessというグローバルで集うビジネスコミュニティからの招待で、The Great Waveというオンラインの集いに参加している。自分の登壇するセッションが無事に終わり、ホッと一息ついたところ。登壇者をざっと見てみると、日本人らしき人、自分しかいないかも。英語ということもあって大変だったけど、それなりに準備したので、なんとか自分なりにやれた感はあり。 というのも、準備そのものが楽しかった。セッションのタイトルは「Time Reb