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デジタル時代の到来に、困惑しながらも考察してみた

世はまさに、デジタル時代。

 私は少し前にスマホの営業販売をしていたんだけれど、もう、ガラケーのままではいられない時代になってきていますね。国が総力を挙げて、全国民をスマホに移行しようとしている。
 「国が?大きな事言ってるなー笑」と思われるかもしれないけれど、一個人の感じるところとして聞いて欲しい。
 ガラケーのままじゃダメなのか?ガラケーでも、連絡するという、「携帯電話」としての役割は果たせるし、今更スマホに変えても使い方分からない。と、私もスマホの営業していた時は何度も何度も言われた。特に、お年を召した方が多かったから、私だってその気持ちは分かる。でも、国はね、スマホを全員持っているという体で今後の日本を考えている。
 電気代、ガス代、銀行の通帳、紙媒体の物をどんどん無くそうとしているし、お店のポイントカードや手続き関連も全部スマホがあれば出来る。この「出来る」というのは「やれ」って事だからね。
 今なら「スマホを持っていないと損するよ」で済むかもしれないけれど、これがいずれ「スマホを持っていないと何も出来ないよ」に変わるだろう。

 スマホ1つとってもこんなに時代は動いていて、世の中はまさにデジタル時代。

 デジタル時代になると、どうなっていくのか。
国がどう動いていくのかなんて大きな話は分からないので、個人的な話。

 私は、「知っている」という部分が大きな意味を持たなくなるのではないかなぁと思う。だって、手元にあるスマホでぽちっとしたら、なんでも出てくるんだもん。
 勉強が不要になるという意味ではなくて、知識より知恵が必要になるのではないかな。そういう意味で行くと、さらに勉強って必要となると思う。「知っている」という点という意味での知識は、スマホをぽちっとしたら誰にでも手に入れられるけれど、点と点を結びつけるという知恵がないと、その情報って使いどころが分からなくなる。
 そうなると、これからの時代大切になって来るものって、「知恵」と「経験」じゃないかな。手元にあるスマホでポチっとやっても、手に入らないものの価値って大きくなると思う。
 自分が実際にやってみた成功談や失敗談、感動、実はこういう事だった!というような、そういった事の価値が上がるだろう。
 そういった価値が上がるという事は、やっぱり見つめ直すべきは自分だよね。自分がどうやって生きてきたのか、自分がどうありたいのか、そこが大切になって来ると思う。
 同じ場所にいて同じように感動したとしても、その感動って一人一人違うはずだから、そういう自分のオリジナルの所を大切にしていきたいと思う。

 人との付き合い方ってどう変わっていくんだろう。既に今現在、実際に会わなくても、顔を見て話せるような環境が整いつつある。そうなった時、沢山の人と繋がれるツールはあってもそれをうまく使えないと人との繋がりって簡単に切れてしまうし、繋がる事すらできなくなってしまう。
 私は、みんなで楽しい事をしたいっていう人間なので、そういう方法を開拓していきたいと思っている。学生の時の放課後のクラブみたいな、わちゃわちゃとただおしゃべりするでもいいしゲームするとかでもいいけれど、楽しい事やっていきたいな。

 デジタル時代はもう、避けようがないと思っている。そういう流れに世の中がなっているし、既にデジタルの恩恵を沢山うけているから、今更それを無くそうとしても無理だ。
 だからデジタル時代にただのまれるんじゃなくて、その中で自分を見つめなおして、上手くその波に乗っていきたいね。

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