斎木 稔貴「終盤力とは勝ち切る力である」への応答

 先日、将棋の終盤力に関する記事を投稿した。すると、これに対し興味深い反論が寄せられた。

 本稿はこの反論に対し応答を行うものである。わざわざ言うまでもないことだが、私はこのような反論が届くことが何よりもうれしい。私のnoteの記事など、思い付きを適当に文章化しただけのものであり、いわば「こんな考え方もできるんじゃない?おもしろくない?」と言っているだけのものだ。それに対して「は?違うが?こう考えた方が面白いが?」と新たな視点を提供してもらうことのなんと素晴らしいことか。自説の流布など、議論が深まることそれ自体に比べれば何の価値もないことである。なお、本稿のタイトルについてガスボンベ名義の記事として取り扱うべきか悩ましかったが、斎木稔貴名義とした。ガスボンベさんが記事の中で一貫して島ノ葉ではなくしまのば名義で拙論に言及していること、その他にもこれまでのツイート等を見るに私がnote上で言及した内容に関してはしまのばと表記しており、おそらくは私がTwitterやYoutubeでは島ノ葉なのに対しnoteではしまのば名義で活動しているのを意図的に呼び分けていると推測したことが理由である。ただし、以下の議論では私と氏の関係性を踏まえてガスボンベと呼ぶことをお許しいただきたい。

問題の所在

 前回の私の記事は、将棋で終盤力と呼ばれているものは、実際には区別可能な複数の能力に与えられた総称であるということを示すことにあった。そして、それを示すための方法として、序盤派/終盤派の区別から議論を始めたに過ぎない。したがって前回の記事で最も重要な点は結論、すなわち一言で終盤力という言葉で言い表されている能力の中に様々な別種の力があるということである。この点についてガスボンベさんは「終盤力とは、優勢局面を勝ち切る力である」と主張することで私の主張に反論している。以下は、この点について検討していきたい。

ガスボンベさんによる序盤派/終盤派のモデル化は適切か

 ガスボンベ氏は私の議論においては序盤派/終盤派の定義が不適当であると指摘したうえで、ガスボンベさんは新たな定義を導入する。

結果の勝敗が五分五分であるとして、序盤派は「中盤の時点で優勢であることが多い人」、終盤派は「中盤の時点で劣勢であることが多い人」です。

 この定義に関しては、そもそも「中盤」という、私は時間的に幅のある領域として定義した言葉に対して「時点」という幅の無い時間表現を特に何の定義もなく使っている時点で難があるが、それはこの際たいした問題ではない。問題は次の論理展開である。

実際の将棋では「優勢」と「劣勢」の間に「形勢不明」が大きな幅を占めますが、ここでは簡単のために、中盤のある時点で「優勢」または「劣勢」しか存在しないこととして、モデル化してみましょう。

 これは過度な簡略化である。というのも、実際に将棋を指すうえでは形勢不明な領域においてその後の優勢と劣勢が分かれる最も重要な分岐が発生するのであり、形勢が不明な局面でどう指すのかこそが勝負の分かれ目だからである。さらに言えば、この形勢不明な領域には、「形勢不明だけどなんやかんや勝てそう」「形勢不明だけど勝てる作りじゃなさそう」「マジ分からん」などのグラデーションがあり、そこに含まれている問題は複雑である。例えばこの領域には、評価値でいえば-150くらいだけど実戦的には大体勝てるやろみたいなものも多いだろう。そしてそのなんやかんや勝てるだろ感は、その人の棋風にも直接に影響を受けるため、客観的に定義することは出来ず、極めて大きな個人差がある。

 序盤派が序盤の研究をするときには、まさにこの感覚に導かれているであろうということに注意するのは重要である。ある変化に可能性を見出すのは、形勢は不明だけどなんか行けそうじゃねということであろうし、逆にある可能性を切り捨てるのは形勢不明であっても勝てそうにないからである。

 形勢不明の領域は簡単のために無視してはならない多様な論点を含んでいるが、ここで最も重要なのはガスボンベ氏が過去に論じた以下の記事で示された不安定性という概念である。

 ここでガスボンベ氏は不安定度という概念を導入することで将棋の形勢判断を優勢/劣勢の二分法で説明するのではない新たな視座を提示している。今回提示されたモデルは、この素晴らしい理論を用いてさらにブラッシュアップすることが出来たはずである。例えば序盤派の序盤研究は、微有利程度であっても不安定度の低い局面に誘導できているか、あるいは大優勢でも不安定度が高いのかなどで意味が変わってくるだろう。形勢不明の領域は不安定度が高い領域として解釈することも十分可能だろう。今回示されたモデルはこの観点を付け加えることでより精緻で豊かなものになりえたはずである。この点が残念でならない。

逆転する力とは何か

 このモデル化の何が問題なのかと言えば、それが「終盤力とは、優勢局面を勝ち切る力である」という結論に直結しているからである。

 そして、本質的に、将棋において「逆転する」というのは、相手が悪手を指して初めて成立するものです。終盤派には「逆転を引き起こす力」があるかもしれませんが、それは終盤力として評価することが難しいものです。

 ここでガスボンベ氏は「逆転を引き起こす力」は「終盤力として評価することが難しい」として切り捨てるが、それは形勢不明の領域を無視した必然的な結果である。大抵の場合、逆転は劣勢→形勢不明→優勢の順番を辿るであろう。この時、形勢不明の領域において何が起きているのか、優勢が形勢不明になるとはどういうことか、劣勢が形勢不明になるとはどういうことかを論じずに逆転とは何かを論じるのは不可能である。形勢不明を形勢不明たらしめている要素の中に逆転の糸口があるはずだからだ。局面の複雑さを捉える視座を欠けば逆転を適切に評価できないのは必然である。

 氏の理論に基づいていえば、逆転という現象の裏には不安定度の上昇がある。不安定度を上昇させる能力のことを終盤力として評価し難しいと結論付ける理由は明らかではない。モデルの中に不安定度という尺度を持ち込んで論じ直したならば、おそらく逆転を引き起こす力についてそのモデルのなかに適切に位置づけられるのではないだろうか。

 具体的にどのようなモデルをくみ上げられるか、不安定度という尺度をどう取り扱うかは重要かつ困難な問題であり、ここで直ちに結論を出すことは出来ない。今後の我々に開かれた課題であるといえよう。いずれにせよ、その検討を経ずに終盤力とは勝ち切る力であると結論するのは早計である。実際には、終盤力という概念の中に逆転を引き起こす力を適切に位置づけるために必要な要素をすべて無視した結果である可能性が高いように思う。

レールに乗せる力は序盤戦略の問題か

 本質的ではないが一応気になったので最後にレールに乗せる力は序盤戦略の問題かという点についても触れておきたい。ガスボンベ氏はこの点についてそれは終盤力ではなく序盤戦略の問題だと主張する。これは一理ある見解である。だが、不安定度の観点から考えれば、優勢かつ不安定度の低い局面を実現する能力と、その局面から不安定度を低いまま維持して勝つ能力は区別しうると思う。前者は序盤の領域に属するが、後者は終盤の領域に属するだろう。とはいえこの論点は用語の問題であり大して重要とは思われない。

結論

 再度確認しておくが、私が示したかったのは一言で終盤力という言葉で言い表されている能力の中に様々な別種の力があるということである。序盤派/終盤派の区別やモデル化それ自体は前回の記事における私の関心の中核ではない。この点についてガスボンベ氏は逆転する力を終盤力に関する議論から省くことで勝ち切る力のみに焦点化する議論を展開した。しかしここで逆転の問題が排除されているのは、まさにモデル化の時点で行われた過度の簡略化の結果なのである。不安定度の観点を組み込んだ新たなモデル化が必要であるし、その上で初めて逆転の問題は終盤力の中に正しく位置付けられるだろう。その具体的な営みは、我々全員に開かれた今後の課題としたい。


【追補】

 なんだか必要以上に堅い文章になっちゃったかもしれないですね。自分で書いててなんかこわいなというかこいつキレてる?って思う場面もあるけど、でもまぁ正確に議論しようと思ったらこうなることは避けられないんですよね。本当は本論中でこういう軽いノリを入れ込んでいって全体をポップにするとかも考えたけど、やっぱりそれは誠実じゃない気がするし。まぁ僕の文章はこれまでもずっとそうだったから今さらこんな言い訳する必要はないんだけど、一応今回はガスボンベさんっていう相手がいる話だからね。いったんここで留保をつけておこうかなと。冒頭でいった通り、ガスボンベさんが反論を出してくれたことには本当に感謝しています。なにやらtwitter上でも議論が少し盛り上がってるみたいだし、本当にいいことです。本論中では攻撃的に見えたかもしれないけど、そうではないんですよということを一応断っておきます。まぁわざわざこんなこと言わずともガスボンベさんは分かってくれると思っていますが、一応我々の関係性を知らない読者とかも居るかもしれないので。今後とも仲良くしてください。またいろんな意見聞かせてくださいまし。

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