共感本の1年

共感に関する本がたくさん出た1年だった印象がある。それも、共感の危うさを説くものが。

「利他」とは何か』(集英社新書)で伊藤亜紗は、「共感が否定される背景にあるのは、私たちが現在、地球規模の危機にあるという認識です」と書いている。地球規模の危機――気候変動、新型コロナウイルス。世界の複雑さは増大し続け、人間の想像力はそれに追いつけない。「共感」が行き届かない範囲が必ず出てくる。『Humankind』(文藝春秋)でルトガー・ブレグマンは、ポール・ブルーム『反共感論』を参照しつつ言う。「自分がある人の立場に立ったと想像してみよう。次に、100人の人の立場に立ったと想像しよう。その次は100万人。さらには70億人。そんなことは不可能だ。ブルームによると、共感できる相手は、救いがたいほど限られている」。しかし現代社会では、そんな共感不可能な人びと同士の衝突が不可避となる。作家の橘玲いわく「性別や人種や宗教が異なる多様な人たちが「自分らしく生きたい」と望めば、それぞれの主義主張がぶつかるわけですから、当然、利害関係が錯綜して社会は複雑になっていきます。皮肉なことに、社会がますますリベラル化していることが今の閉塞感や生きづらさの一番の要因なのだと思います」(「冤罪から陰謀論まで 〈道徳感情〉で世界を読み解く【管賀江留郎×橘玲 特別対談】」)。その橘玲は、『スピリチュアルズ』(幻冬舎)でパーソナリティを決める因子「ビッグ・エイト」のひとつとして共感力を扱いこう述べている。「共感が社会的な問題を引き起こすのは、それが世界を「俺たち」と「奴ら」に分割したうえで、「俺たち」の側に感情移入するからだ。このように考えれば、いま日本をはじめ世界じゅうで起きている社会の分断は、共感が欠落しているからではなく、共感があふれているからだということになる」。むしろ、共感力が低いほうがそうした分断を乗り越えることができるというのだ。「アインシュタイン、ガンジー、マザー・テレサ、あるいはそれ以外の多くの偉人たちも、低い共感力によって偏狭な部族主義を脱し、より広い視野で自分とは異なるひとたちの幸福を真剣に考えることができたのだ」。ブレイディみかこも『他者の靴を履く』(文藝春秋)で、「「共感」ではない他者理解」としてアナーキック・エンパシーを提唱している。小林佳世子『最後通牒ゲームの謎』(日本評論社)は最後通牒ゲームにおいて見られる、自分が損をしてでも他者を罰しようとする「利他罰」に着目し、進化の過程で人間に備わった共感のメカニズムがその背後にあると論じる。管賀江留郎『冤罪と人類』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)も同様の指摘をしている。二俣事件をはじめ戦後静岡で複数の冤罪事件を引き起こした紅林麻雄は「部下思いで誰にでも気配りのできる、〈共感〉能力の人一倍高い人だった」とし、「自分が被害を受けたわけでもないのに紅林刑事を憎み、罰したいと思った読者諸氏の胸奥から突き上げるであろう感情」がまさに冤罪を生み出したのだと述べている。SNSの炎上も。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?