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軽井沢風越学園視察

 行ってきました.視察で一緒になった方とご飯を食べ、いまは帰りの新幹線です.写真の通り浅間山も少し見えました.

 アウトプットし過ぎて疲れた.見て、考えて、書いて、話す、そういう研修です.答えは与えられません.確かにスタッフに聞けばある程度応えてくれそうですけど、全てオープンエンドで終わる.でもそれでいいんだなと気づきました.与えられたとしても、それは自分の言葉になかなかならないのでそもそも入ってこない.そう、授業だって入らないのです.自分事になってないなら入らない.記憶にも残らない.そう考えるとテスト後に全て忘れる、入試を突破すればそれでいい教育ってなんて空疎なものなんでしょうね.もちろん、そういいながら普通の学校も良いことはたくさんあります.むしろ、というかもちろん風越も完璧じゃありません.学校現場に完璧なんてない.

 ともかく、アウトプットって強烈で、話せば話すほど考えが湧き出てきました.話している最中にも忘れないようにメモりたい!ってなった笑.全然止まらなかった.とにかく見て、考えたものをざっと出してみる.順番もバラバラ.正直、自分のためのアウトプットなので他の人が読んでなるほど!ってなるもんじゃないとは思います.でも、自分としても現状こんな感じって思うだけで当然だけど全てを出しきれない.みんな行った方がいいよ.

 ちなみにですが、良い意味で子どもは普通です. 中学生女子は中学生女子だし、幼稚園児は幼稚園児で、小学校低学年は小学校低学年です. 普通だけど、みんなが土台としてる、根底としているものは他の学校と少し違う. 他の学校よりも対生徒の人数は少数で、だからこそゆとりがあって、少しゆっくり話せる. 無駄な忙しなさはない. 働いたらあるんだろうけど、見えはしなかった.

印象に残ったもの・考えたこと

気持ちのいい場所だった

 視察に来た人とスタッフと、とにかく話す.みんなよく聴くので気持ちがいい.適当に流さない.時間がないっていう感じもない.チャイムにも左右されない(チャイムがない).自分は自己開示には全く抵抗がないのでどんどん話せるのですけど.さらに話したくなる.話してるとさらに整理されてさらに考えが浮かぶ.そんな時間でした.自分でもびっくりした.とにかくアウトプットによって元気になった感覚.しっかり聴いてもらうって本当に大事なんだな.しかも否定されないという安心感も大きいのかな.

自立している中学3年生

 9年生と少し話せる機会があった.卒業探求があるようで、それに向かって取り組んでました.

「やりたいことがいっぱいあって、大体風越でやったからあとはこれをやる」

 世の中やりたいことが無くて困っている中学生・高校生ばっかりですよ笑.ここの子たちはやりたいことを蓋で閉じられません.プロジェクトをやる時も声をかけ、一緒にやる人を集め、やる.そういう興味の芽を摘まなければちゃんと出てくるんだよね、みんな.一斉授業では摘んでばっかだよな.だってそうするしか進められないからね.一斉授業の面白さは知れないけど、一人一人のペースで学べる.そんな学校だし、そうやって育ってきた9年生.高校では先生主導になるかもしれないからおもんないかもね.自分でやる楽しさを知ったあの子たちなら、みんな一緒にやろうよって誘えるかな.中学を出たあとのことはかなり興味があるけれど、そんな簡単に答えも出ない.評価もされるけど、入試実績だけで評価するような学校じゃないですよ.
 高校の行き先はみんなバラバラだそうです.

話を聞かない子どもたち・学びに向かえない子どもたち

 他の子ども、スタッフが話していても全員が静かにして聴くような時間はほぼない.多分これが一番みんな違和感を覚えるところ.静かにさせることは簡単.でもそれって意味あんのかな.見かけだけの指導ではあるんだよね、正直.大人だって静かにしててもボケーっとして聞いてない時あるしね.静かにしているというただ見やすいそれだけができていればいいのか?話聞いてなさそうな子にスタッフが今から何するのかわかってる?って聞いて、〜〜〜でしょっていうこともあるらしい.なんだかんだ聞いてる笑.自分的にはこれは、こういう場面で静かにしようと言ってやらせるのではなく、いずれ気づくことだと思って信頼してだから厳しく言わないこと.
 学びに関してもそう.いつかやりたくなる時がくる.そう信じる.


共通了解している強さ

 みんなが大事にしていることをみんながわかっている気がした.↑の静かに!って強く言わないとか.子ども曰くたまにスタッフも言ってるみたいだけど笑.スタッフ、リソースの方(事務)、子ども.保護者もかな?土台がしっかりしているからブレない.変わらないといけないことは変わるけど、芯はぶれないのだと思う.でも、多分ですけど、ちゃんと話をしていかないというか、手を抜く感じに今後なっていけばここだってチグハグというかみんなそれぞれ頑張ってるけど噛み合わない、なんか無駄にしんどいっていう感覚だけの状況にもなるんだろう.多くの学校ってこうなってるもんで、むしろ対話がなされるならこれを打破できるんじゃね?って感じました.話せばいいやん、っていうすごいシンプルなところに落ち着いた.最近の自分の仕事では、意見を通すためには戦略的にこうするとか、交渉するとかそういうことばっかりだったけど、それはちょっと自分のエゴで、自分の意見が何よりも良いっていう感覚が強過ぎた.みんなでやる仕事なんだからみんなで同意して、共通了解した上で進めるしかないはずなのに、そんなことも抜けていた.必死になると視野って本当に狭くなるもんだなぁ.自分の意見が一番だ、じゃなくてみんなでやろうぜ.その方が仕事もやり甲斐あるでしょ.


子育ても学校での仕事も焦らずいこうよ

すぐにできるようになることを求めない

 これはエゴなんだ、やっぱり.急いじゃいけない.教育ってそんなもんじゃないでしょ?そんなすぐにできることなんてない.勉強得意な子はすぐできて、それと対比してできない子ができないやつって思うようじゃいけない.
 結局人の成長というか、変容は自分の能力の枠というかそこからちょっとずつ膨らむ.飛び越えられない.だから話を聴く!ってすぐに怒鳴らない.でも放置するんじゃなくて、自分がどう思っているか、なぜ話を聴いて欲しいのかなど思っていることをちゃんと言うことは大切.

明日からできること

 話す.いつもの同僚だけじゃなくて他の同僚とも話す.何でもいい.さっき会ったことや悩んでること.1分でいい.そして明日は違う人と1分でいい.もちろん生徒とも話す.こういった時間を作る.もはや意図的に作らないとできないくらいにはなかなか時間がないんだけど、これは作る.
 カッチリ決めすぎない授業で運営する.ゆとりがあるくらいがいい.決めすぎるとそれでしかやらなくなっちゃうから.もちろん、事前準備しないこととは全く別.
 自分の子どもの成長も焦らない.いずれできるようになる、わかってくれる日がくると思って待つ.そしてゆっくり話す.とにかく一緒にいる.
1月22日.

追記
こんだけ新しく作ってるんだから、自分も新しく、一緒に対話できる仲間、信頼のおける仲間と何か作りたくなった.

気になること. スタッフってネガティブなことを受けることってあるんかなぁ、ってこと. ネガティビティって最近大切だと思ってるけど、こんなけ受容度が高かったらむしろ否定すること、否定されることってなかなかないんじゃ無いかな. それは思い違いか?

そしてさらに気になることはやっぱりこの子たちの出口. 本当に将来どうなってるんだろう. でも、知らなくていいような気もしてる. やっぱりみんな答え合わせしたがるから、自分だってそう思っちゃうんたけど、今日のワークショップだって答えなんてなくてでもそれでよかった. 教育に答えを求めようとするほうがナンセンスかもね. ここにいた人みんな(スタッフ全員、子どもたち)から自信を感じた. それだけでいい気がする. 普通の学校だって、みんな評価なんか恐れず、自信持っていいんだよ. 素晴らしい姿(フォーム)、してるよ?

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