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チャイム

 風越学園から帰って今日は日常に戻りました.いつもより他の人との話があったり、もう少し生徒を見ようとしたり学級全体の空気感を読み取ろうとしたり、色々と変化があった.いつもなら授業中が無理だったから昼にペットボトル打ち上げるし見にきてねっていうところを、一緒に上げたい人おらん?とか言ってみたりね.こっちの方が楽しい.続けることが大切.

 
 うちの学校はチャイムが鳴る.普通のことであるが、やはり昨日との違いを感じる.そして思ったのは、区切りを明確にされていてその区切りに合わせて動くからすごく効率的で.みんなで効率的にしようと思ったらそれに合わせるから忙しくなっちゃう.心を亡くしてしまうわけですね.効率的にしようと思ったら忙しいのである.そうやって、ノルマというか締切がないとなかなか動けないという人間の怠けの部分というか、それも確かにわかる.わかるんだけど、それを根底に置いて生まれる集団はやはり気持ちよくない.信頼してないからね.ギスギスもする.だから、昨日は信頼していて、それを感じられるから気持ちいい場所だったのだろう.

 効率的にたくさんのことを終わらせる.でもそれはなんのためになんだろう.そもそもそうしないと終わらないから?そうすることでたくさん成果を上げられるから?心を亡くしたとしても上げたい成果なのか?効率的にやって、結局何がしたかったんだろう.効率的にやることが目的になってるんじゃないのか.本当は、もっとみんなと遊びたいというか、良い空間を作りたいから、時間を産みたいからそうしていたんじゃないのか.

 まだまだこういう問いを作る時間が続きそうである.
1月23日.明日は髪を切るので昼で出ます.

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