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必殺技、欲しいよね。

 セラピスト29年やってても、欲しいもんは欲しい。

 理学療法士(PT)2年目ぐらいになると、何がしか技術習得に走る。気がする。
 AKA、PNF、ボバース、ボイタ、筋膜リリース、認知運動療法、IDストレッチ、等々。その時々の流行りもあるが、大体において、自分の「コレがあれば大丈夫」みたいなものが、欲しくなる時期なのだ。

 先輩方の、「これをこーして、こーなってるから、あとはコレやったら仕上がる」(患者さんが動作自立に至るまでの、セラピスト側から見た流れ)的な、なんでそんなはっきりわかるねん、ぽいことを、自分も見えるようになりたいわけである。

 確かに、学校で習ったことだけでは、なんとなく不安を感じる。なぜなら、その基本的なことや評価で得たデータを、どういう角度からみるのか、は、セラピスト個人に寄るので、その患者さんの今後は、そのセラピストの「見え方」で決まってくるからだ。
「見え方」とは、SOAP(古いか?)でいうAのところ。
解釈。考察。

縮んでる と 余ってる ですることは変わる。


 ケースが増えるたび、単なる可動域制限、から、拘縮、筋肉、筋膜、緊張、認知、心理、色々な細かい要素が「見えて」くる。チームでやっていても、医師と看護師とPT、OT、ST、ケースワーカー、何より患者さん本人、そして割と影響する家族の「見え方」、それらは微妙に違うし、完全に一致することなどほぼ無いだろう。
 大体は、それらのバラバラな意見が、チームリーダーである医師の見解に多面性を持たせ、立体的かつ現実的な方針として患者さんの前に出されるのだが、それは必ずしも患者さんにとって望ましい「未来予測」ではない。

 そのジレンマに、セラピストは苦しむ。
 患者さん本人も、自分も納得のいく見方、解釈はないものか。

 ぶっちゃけ、スラスラ喋れて相手も納得、医者も一目おく、みたいな良い方法。

 んで、技術講習探しまくって行くんである。
 (安心してください。真っ直ぐ、患者さんのために🤩の人ももちろんいます。)

 だが、この技術、ってものが案外やっかいで、時々、ちょっと麻薬っぽい。
 それで起こる変化に、快感を覚えてしまう。

 自分の手で相手を変えられる(ように見える)快楽。

 それでも、患者さんがしっかりしてるとこだと、しょーもない自己耽溺をズバーと一刀両断されちゃって、セラピストはヨロつきながら、現実のその人と向き合うことになるのだが、患者さんが「先生すごーい。もっと変えてー」てなるともうやばい。

 セラピストが、技術第一になって、それに合わない患者さんを「排除」するようになることが起こるのだ。この素晴らしい技術に合わないあなたは変です、みたいな。
 勿論、全員なるわけじゃない。だが一時「その状態」にはまり込む人は多い。

 実物みたんで、ホンマに。

 病院のセラピストが、自分の技術に合う患者だけとってたの。先輩方も心配して色々その人に話したけど、自分は間違ってない感120%で‥結局どうなったのかな。

 自宅サロンとか開業してるなら、相性があるんで、とか、それでも良いのだろうけど、病院は、それしたら患者さんの権利を奪うことになる。ふつうに医療を受ける権利を。

 どっちかっつーと、患者さんごとで合う治療法が違って当たり前。だから技術講習行って、セラピストの「見方」を増やすんじゃないんかなー。


 患者さんには、正しさはいらんのだな、と最近気がついた。
 エビデンスも数字も、その解釈の仕方で使い方が変わるわけで、どんなに正確なデータも、患者さんが生きる希望を失ってしまったら元もこもないんである。だって、そんな状態じゃ何やっても効果出ないし。

 生き続ける理由、動きだすきっかけ、なんらかの希望。それは患者さん本人の中にあるものだし、生まれるもの。でも、それにスポットライトが当たるように、患者さんがそれに気づけるように、データや解釈は提示されるものではないか。
 実験ではなく、医療であるならば。

 障害部位から考えて、麻痺は残ります。
 元の通りには治りません。

 脳血管障害でよくある話。
 医師の責任じゃないよ、治さないんじゃなくて、治らないんだよ。医療側の言い訳の詰まったこの言葉を、何度聞いただろう。

 自分も言ってたよ、若い頃。今思うと、技術ないからじゃないって、言い訳。

 エビデンスに基づいた、正しいことを言っているんだ!と憤慨されそうだが、患者さんが知りたいのは本当にそれなのか?と思う。

 子どもが血液疾患で、巷では死ぬ方が多い病気と分かった時、絶望しかかった私に主治医は言った。
「お母さん、コレ治せますよ」
 まだどのタイプかわからないうちに、コレを言い放ったのは不正確かもしれないが、その病名イコール死と考え絶望感いっぱい思考停止していた私を、まだ生きている子のもとへ引き戻した。かなりのパンチ力。
 そして、1番欲しかった言葉。

 今、自分はどうしたらいいのか。

 それが1番知りたかったのだ。
 とりあえずすぐ死なない。治療もできる。
何より、ちゃんと対応したら、この子のしんどさをとりあえず減らせる。
 思考は再び回り出し、もっすご現実的かつ計画的に入院の準備が始められた。

 今相手が知りたいことを、今伝えられる。
 そんな必殺技が欲しくてたまらない。
 だから、PT29年経っても、勉強は続く。

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