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明治のアメリカ人女性が見た日本の子育て ~アリス・ベーコン~ その2

 現実をどうにか回避して生きるしかない日本女性に、同性としてのベーコンは、一種の歯がゆさを感じるのであった。これには、せっかく十年を超すアメリカ留学を体験してきた梅子たちでさえ、帰国後の仕事探しは困難をきわめ、果ては結婚に代表される社会のしがらみに押しつぶされそうになる現状からも、容易に想像がつくことだった。

 それと同時に、津田梅子や山川捨松の積極的な協力なくしては、到底このような日本女性を取り巻く社会事情を見つめ、彼女らの声を救いあげることなどできなかったのである。当時の日本社会では男性より低い地位にあった女性、あるいは女性と共にいる年端のいかない子どもに焦点をあてたことから、見えてきたものがあった。表立った活動をする日本人男性とは異なり、常に日陰の部分を支えていた女性に注目し、その家庭生活に目をやると、予期した以上に社会の矛盾や男女差が表面化したことだろう。そういうものに、ベーコンは真正面から取り組もうとしたのだった。

 ただ、欧米人でクリスチャンである彼女らの発言には、日本人が改宗すればより良い社会が築けるという前提も随所にみられる。以前記事に取り上げたイザベラ・バードもアイヌ部落で同様に感じ、べーコンも「日本の少女と婦人たち」の増補版では、キリスト教化の進展に期待した。教育や科学の知識、特に衛生観念など、彼女らが説く内容には、当然耳を傾けるべきことが多いことは疑わないものの、この論理一本で、日本を変えることは不可能だった。

 ただし、ベーコンに関して言うならば、日本の良さに気がつくにつれて、キリスト教化すれば問題は解決するという、自分のこれまでの姿勢に疑間を感じたこともあったようである。ベーコンだけでなく、ほかの欧米人も日本を知れば知るほど、アメリカの定義する「文明」をそのまま受けいれることがはたして日本人に幸せをもたらすのか、疑間を持つようになっていったらしい。ベーコンは日本での教師生活を経験した後、「文明」をどう解釈していいのか迷いが出たことを告白している。即ち、日本の貧しい階級の人々でさえ美を愛する心を持ち、道徳的であるところをみると、「文明化する」(civilize)必要があるとは到底思えなくなってしまうのである。そして、「文明」がキリスト教徒としてのアングロ・サクソン人の専売特許であることに疑間を感じるようになっている。

 ベーコンの来日の目的は、日本女性の地位向上のために適切な教育を施すことにあったから。教育を通して日本人のモラルの高さに気付くことも多かったことだろう。結局、これまでの歴史の中で、教育を根付かせるだけのしっかりした土壌がすでに育まれていることを確認するに至ったのである。

 最後のベーコンの書は、最も充実した日本論となっている。それにはすでに言及したように、アメリカ時代からの知人であり、日本での仕事のパートナーである津田梅子の存在が欠かせない。留学から帰国したものの、アメリカで受けた類まれな教育経験を活かそうとしても活かす場が見つからないというのが当時の状況であった。梅子自身が職探しをはじめとして、日本人でありながら日本社会への同化の厳しさを、その身をもって体験した一人であったことに他ならない。それは、外国人が体験するカルチャー・ショックと根を同じくするものであった。

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