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リンゴの木で有名なニュートンって本当にすごい人だったんだ! その2

 アイザック・ニュートンに関する記事の第2弾を大お届けする。

学問的権威・ロンドン王立協会の会員となる
 
当時のイギリスは、混乱のさなかにあった。カトリック的なイギリス国教をよりどころとして、専制をほしいままにしていたチャールズ1世に対して、クロムウェルにひきいられた清教徒たちの革命が起こった。そして1649年には、チャールズ1世が処刑され、共和制が敷かれた。
 またクロムウェルが死ぬと共和制がくずれ、1660年にはふたたび王制が復古し、チャールズ2世、ジェームズ2世、アン女王らが次々と王位につくという激動ぶりであった。<字数:3839文字>

 しかし、このような内乱状態のイギリスにあっても、なおひそかに学問のともし火を絶やさずに引きついでいる人たちがいた。気体の法則で有名なポイルたちが作っていた「無形の大学」という小さな集まりも、そのような人たちのグループの一つだった。個人的な集まりとはいっても、多くの学問的な業績を持つ人たちの集まりで、かげながら高い評価を得ていたのである。
これがたまたまチャールズ2世の目にとまり、1662年に「無形の大学」は「王立協会」として編成替えされることになった。以来、今日に至るまでつづいているこのロンドン王立協会は、今でも世界で最も権威ある学術団体の一つとなっている。

 ケンプリッジ大学の教援となったニュートンは、まわりの人たちの助言によって、自分で作った反射望遠鏡をこの王立協会に送ったのである。これは人々の間で大きな反響をよんだ。そして1672年、王立協会はニュートンを会員として迎え入れることになった。

 会員になったニュートンは、王立協会へあてて、プリズムによる光の分散についての論文を送った。それは、人々が反射望遠鏡ばかりを評判にすることが、不満だったからにほかならない。反射望遠鏡そのものよりも、光の分散の問題のほうが、もっと自然の秘密を解き明かすのに重要だ、とニュートンは考えていたのである。


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