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経験する中で感じたことが「知」の基盤となる

 倉橋惣三氏は、「日本幼児教育の父」と呼ばれる。倉橋は、ドイツの教育学者で世界初の幼稚園(キンダーガルテン:子どもたちの庭)を創設し、「幼稚園の父」と称されるフリードリヒ・フレーベルの原本を読み込み、自らの幼児教育理論の発展に生かした。

 フレーベルは、知識を与え詰め込ませるような早期教育ではなく、子どもの本性と個性に従って教育を施すことを大切することを重要視した。幼児教育とは、受動的・追随的でなくてはならず、フレーベルにとって幼稚園は、子どもたちの健全な発達のために存在するとし、子どもたちが遊びを通して学べる環境が整えられた。フレーベル教育で行われているのは、自然との触れ合い、恩物、歌である。自然に触れ、観察し、自然の中で遊ぶことを大切にした。「恩物」という言葉を私自身も初めて聞いたのだが、恩物は、フレーベルとその弟子たちが研究に研究を重ね開発された遊具で、子どもの科学的観察に基づき、正確に計算されながらも、子どもの自然の欲求に従いながら作られたもの…恩物は幾何学につながる玩具で、今でいう「積み木」のことを指す。フレーベルの積み木は、円柱、立方体、三角柱、直方体など様々な形が正確に計算されて作られており、子どもたちは、積み木を自由に組み立てることで、想像力、空間・立体認識力、簡単に言うと、積み木遊びを通して、数学的・科学的な力を身に付けられるということだ。そして、「歌」を大人と一緒に音楽やお遊戯を楽しむことは、子どもの情緒を安定させるだけでなく、健全な子どもの発育にとても良いと考えたのだ。

 倉橋は、フレーベルの実践に学び、大人が意図することを教える教育ではなく、豊かな自然の中で遊びながら、子ども自身が自らの自発性を引き出す自由保育、誘導保育を提唱・実践した。誘導保育とは、子どもが持つ「自らの内に育つ力」を大切にし、子どもが自発的に自由に遊ぶ中で「自己充実」を目指すという教育方針で、周囲の大人が教え導くのは、その自己実現のために刺激を与え、環境を構築することだとした。倉橋惣三の著書で有名なのが『育ての心』。その中には保育に関するたくさんの名言がある。

「自ら育つものを育たせようとする心、それが育ての心である。」
 倉橋は、子どもたちがこの場所が安心と感じると自ら動き出す。幼児教育における苦心の大半は、この自発性の誘導にあるとし、自発的な行動を促す大人の準備を重視した。
「子どもたちの生活すべてが育ちの場となる。」
 倉橋は、子どもの自然な活動を分断してしまう朝の集会をやめ、季節に合わせた一日のリズムを大切に考えた。
「子どもは心もちに生きている。その心もちを汲んでくれる人、その心もちに触れてくれる人だけが、子どもにとって有難い人、うれしい人である。」
 倉橋は、子ども一人ひとりの気持ちに共鳴し、共感することの大切さを説いた。

 倉橋は、親や養育者(保育士や幼稚園教諭)に対しても素敵なメッセージを下さっている。
「育ての心は相手を育てるばかりではない。それによって自分も育てられてゆくのである。我が子を育てて自ら育つ親、子等の心を育てて自らの心も育つ教育者。育ての心は子どものためばかりではない。親と教育者とを育てる心である。」

 幼児教育とは、人間の根っこを育てること。しっかりした根っこが育っているからこそ、きれいな花が咲くのだ、と惣三は考えていた。惣三に幼児教育の大切さを教えてくれたのは、ほかならぬ子どもたちであり、惣三は、子どもたちを「小さな太陽」と呼んでいた。「僕が子どもたちに何かしたということは一切ない。いつもいつも燦燦と照らされ、励まされてきたのは、僕のほうだった。小さな太陽たちに……」 
 惣三の生涯は、つねに子どもたちに寄り添い、その心に共感し続けた長い道のりだった。

 子ども家庭庁は、保育園の保育士や幼稚園の先生は、「育ての心」を実践しているだろうか。子どもたちの個性を認め、自由な遊びや発想に共感的に寄り添い、子どもたちの自発性を重視しているだろうか。
 子ども家庭庁の政策は私たちには非常に見えにくい。子どもの出生数は恐ろしい勢いで減っているのに、児童虐待は増え、不登校になる子ども、自殺を企図する子どもは増えている。だからこそ、今こそ、子育てに関わる全ての大人たちは、倉橋惣三の「育ての心」を学びなおすことが必要なのではないだろうか。

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