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「もののけ姫」から考える差別 その1

 私はある高校で「人と自然環境」という科目を教えている。指定の教科書がない科目なので、毎回手作りの教材を用意するのがとても大変なのだが、「自分が生徒に何を伝えたいか、生徒に何を学んでほしいか」を考えるのが自分なりの「やりがい」になっている。今年度も2月下旬となり、この科目の「まとめ」の時期となった。「人と自然環境」というタイトルの科目なので、年間を通してSDGsをベースに、地球が抱えている危機的状況、地球の豊かな自然環境に甘え、それを破壊し続けてきた人間の愚かさ、次の世代にたった一つしかない「地球」の豊かな自然環境を美しいまま次世代に渡すことの大切さを教えてきた。

 この科目の集大成として、生徒たちが最後に楽しみながら「人と自然環境」を再考してくれる機会を作れないかと考えていたとき、我が家にあった宮崎駿監督の映画『もののけ姫』を久しぶりに視聴し、「これだ!」とひらめいた。このアニメ映画はまさに「人と自然環境」のせめぎ合いのような内容であり、環境問題以外にも様々な差別の問題を包含した作品だ。

 主人公の一人であるアシタカは、「たたり神」となったイノシシから村娘を助けるために、いずれ命を失う業病を抱えたため、村を去ることになる。この村は東北地方にあった蝦夷の村だ。蝦夷やアイヌは日本の歴史の中で京の都を中心とする天皇や武家の勢力によって徐々に排除されていった差別の対象であった。
 蝦夷(えみし)とは古来、大和民族から蔑視されていた日本の先住民族で、彼らに関する記述は日本書紀にもみられる。もともと日本列島の北方や東方を居住地域としていたが、次第に勢力を拡大させていく朝廷の侵略により、居住地域は徐々に北上し、やがて現在の北東北が南限になったとされる。また、侵略を受けた蝦夷のうち、一部は大和民族に吸収および同化されたが、もう一部は蝦夷(えぞ)としてアイヌと呼ばれる人々の祖先になった。アシタカは、平安時代初期に活躍した蝦夷(えみし)の軍事指導者アルテイの末裔で、エミシの隠れ里に住むという設定になっている。

 アシタカが立ち寄った村では武士が民衆を襲っていた。襲われた民衆を被差別部落民と見ることもできる。アシタカは村でジコ坊と出逢う。物語の中でアシタカは、石火矢衆を指揮するジコ坊と敵対することになる。ジコ坊は得体のしれない諜報員のような存在としいて描かれているが、傀儡(人形使い)などの芸能をなりわいとする唱門師(しょうもんじ)がモデルだ。石火矢衆も唱門師も被差別集団である。

 石火矢衆は、犬神人(いぬしじん)と呼ばれ、京都祇園社の庇護下にあった下級の神職で、今でいう警察と保健所の仕事を合わせた「清め」を行い、その「清め」を担う犬神人が弓矢を製造・販売していた。古来、弓には邪を祓う力があると信じられていたため犬神人が「清め」を担ったのだった。

 山の中で山犬のモロに育てられたサンは、それこそ山犬のように軽い足取りで山中を駆けまわる。こうした優れた運動神経や、特定の住居を持たないという点などから、サンはかつて日本各地に見られたとされる漂流民サンカの人々だと考えられる。モロはサンに、自然との共生関係を保っていた縄文人の文化を与えたのである。サンの呪術的な土面や装束、食物・習俗などは、全て縄文人のそれである。神の使いであるモロは縄文人を認めていたと考えられる。

つづく
 

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