『徒然草』は、吉田兼好が書いたとされる随筆で、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』とならび日本三大随筆の一つと称される。
私自身も高校の古典の授業で『徒然草』を学び、序段の【つれづれなるまゝに、日くらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ】の部分を暗誦した記憶がある。
最近、何かの本で徒然草の60段に触れる機会があり、「しろうるり」という言葉に出逢った。Es Discovery Logsというサイトから、徒然草60段の現代語訳を拝借した。
しかしながら、「しろうるり」の意味はいまもってわからない。この盛親僧都が勝手に口にした造語なのかもしれない。盛親僧都が見たお坊さんの顔が「白い瓜」に似ていたのだろうか。「しろうり」を「しろうるり」と言い間違えたのだろうか。
盛親僧都は元から「しろうるり」という何モノかを知っていて、そのお坊さんにあてはめたのではなく、見た目の雰囲気から、いかにもそれらしい造語をでっち上げたのだろうか。
「しろうるり」としか形容しようのない顔とはどんな顔だったのだろうか。
江戸時代になると、『徒然草』は一つの学問として成立する。井原西鶴は「しろうるり」を実体のないもの、不思議なものと捉えたようで、「白うるり」として句を遺している。
白うるりとは侘人のつきあい
天竺にもしあるならば白うるり
結局、なんなの? しろうるり・・・