見出し画像

日本を平和国家に導いたスリランカ  ~その恩を仇で返したウィシュマさん死亡事件~

 愛西市の真宗大谷派明通寺に、ジャヤワルダナ顕彰記念碑がある。いまの日本があるのは、元スリランカ大統領のジャヤワルダナ氏の仏教精神に基づく慈愛の実践によるものだ。太平洋戦争で敗戦国となり、アメリカの統治下に置かれた日本は、戦勝国(アメリカ・ソ連・イギリス・中国)により分割統治される恐れがあった。日本が独立すると再び軍国主義が台頭し、アジアの脅威になると考えられたからだ。昭和26年のサンフランシスコ対日講和会議では、日本に対する巨額の戦争賠償と、分割統治案が強硬に討議された。
 その会議の流れを変えたのが、セイロン(現スリランカ)政府代表のジャヤワルダナ蔵相の演説だった。氏は、「アジアの将来にとって、完全に独立した自由な日本こそが必要である」と強調し、分割統治案に反対した。また、「憎しみは憎しみによって止まず、愛によって止む」という仏陀の教えを引用し、対日賠償請求権の放棄を宣言し、各国にも同意を呼びかけた。戦時中、イギリス連邦の自治領だったセイロンが、日本の空爆を受けたにもかかわらず、賠償の放棄を宣言したことは、まさに仏陀の説く慈愛の実践であると多くの参加国に感銘を与え、インド、ラオス、カンボジアが同調を示し、ついには平和国家日本としての独立が認められるに至った。ジャヤワルダナ氏の発言に吉田茂首相は感泣し、翌日の日本の新聞は「ジャヤワルダナは兄弟愛を訴えた」と報じ、アメリカのタイム誌は「会議においてもっとも有能なアジアの代表者はジャヤワルダナであった」と絶賛した。その後、日本はスリランカにとって最大の資金援助国となる。

 ジャヤワルダナ氏は、昭和天皇の大喪の礼の際、強く希望を示し、当時の大統領に代わって参列された。ジャヤワルダナ氏は、亡くなる際に「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」と遺言し、日本人に角膜を寄贈された。「自分はこれからもスリランカと日本の両方の国を見ていきたい」という想いが込められたのだ。スリランカは、ジャヤワルダナ氏の影響により、日本に対して多くの角膜を提供してくれており、今でも日本への角膜提供率は世界一だと言われている。

 広島の原爆資料館には、ジャヤワルダナ氏の筆跡が遺されている。氏がこの世を去る5年前、サンフランシスコ講和会議から数えて40周年の記念の年に、仏教関係者の招きにより日本を訪問した。原爆資料館を見学した際、氏は次のように記帳した。「人を殺したい、人を傷つけたい、人間同士の憎しみの感情を広めたいという欲望を、非暴力が人間から永久に消し去ってくれますように」…。氏は、その後、原爆ドームを訪問し、平和祈念公園の犠牲者の碑に献花し手を合わせた。広島を離れる際、日本のメディアに向けて次のようにメッセージを発した。「人々は、国家間の暴力を止めなければならない」…。ゆっくり、はっきり、そして力強い言葉で日本に、世界にそう伝えたのだ。このエピソードをスリランカの人たちはとてもよく知っているのだが、恩恵を受けたはずの日本人の殆どが知らない。

 2021年3月6日、名古屋出入国在留管理局(名古屋入管)の収容施設内でスリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった。体調不良を訴え、名古屋入管の職員に何度も何度も点滴や外部の病院での診察を依頼し続けたのに、その要望は全く受け入れられず、適切な医療行為を受けられないまま尊いその命を落とした。スリランカが日本を平和国家へと導いてくれた事実を多くの日本人が知らず、さらにスリランカ人のウィシュマさんの命の危機が長期間にわたって放置されたことを、ジャヤワルダナ氏は天界からどのような思いで見つめておられるのだろうか。

私の記事を読んでくださり、心から感謝申し上げます。とても励みになります。いただいたサポートは私の創作活動の一助として大切に使わせていただくつもりです。 これからも応援よろしくお願いいたします。