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ワラビスタンのクルド人②

 在日クルド人の多くは観光ビザで来日している。その後、難民認定申請をすることで一時的に日本での居住が認められる。だが、日本は親日国であるトルコとの関係悪化を懸念し、難民自体を受け入れる環境が整っていないことを理由にクルド人を難民として認めていない。このため彼らの大半はビザがなく、身分は不安定のままである。この影響で、難民認定申請中に日本人と結婚したり、その他方法で永住権を取得したりした人以外は部屋を借りたくても借りられないと言う。

 実際の街はどんな状況なのか。蕨駅西口、東口ともに、一見すればどこにでもある郊外の街に見える。クルド人が大勢暮らしているという東口から続く大通りは、日系の一般的な商店が整然と軒を構える。蕨駅周辺で暮らすクルド人は街の現状を次のように話す。「この周辺には多くのクルド人が住んでいるが、1カ所に集中しているわけではない。居住区が広範囲にわたっているから目立たないのでしょう。週末になるとイオンモールにはクルド人が大勢買い物にやってくるけれど、ここでも一団で歩き回ったりすることはあまりないんじゃないかな。むしろなるべく目立たないようにしているはず」   クルド人の多くは難民として認定されていないため、いつ入管(入国管理局)から呼び出されて収容、強制帰国させられてもおかしくない。そのため「永住権を持っている人以外はみな不安」なのだという。

 在日クルド人難民の多くは、一定の就労資格手続きを経て、永住権を持つ同胞が営む飲食店、建設業でのアルバイトで生計を立てている。給与は人にもよるが1カ月10万~20万円程のようで、単身者でもギリギリの生活だ。もちろん、永住権のない人に健康保険などの社会保障は与えられない。他地域で暮らす外国人と比べると劣悪な環境に置かれているようにも見えるが、それでも彼らは生涯、この地域で暮らし続けたいのだという。

 「日本人はあまり知らないだろうが、クルド人はどの国でも差別を受ける。クルド人居住区周辺地域は紛争も絶えず、常に生命の危機にさらされる。でも、日本は治安もいいし差別も少ない。生活は苦しいけど、これは我々にとって素晴らしいこと。難民認定が今以上に認められるようになれば、もっと多くの仲間が日本に来ると思う。日本政府、日本人がどういう印象をもって我々を受け入れてくれるかは難しいところでしょうけどね」と前出のクルド人が語っている。

 トルコ、シリア、イラン、イラクにまたがる中東クルド人居住区では、2014年ごろからイスラム国(IS)が台頭した。その排除のため、クルド人の多くはアメリカ軍に協力し、イスラム国掃討作戦に駆り出された。ところが、ISの弱体化が進むにつれ、居住区だったシリア北部でのクルド人の存在感が強まっていった。トルコはこれを「国家樹立の動き」と警戒し、アメリカ軍の撤退宣言を機にクルド人地域へ侵攻した。現在は停戦状態だが、一触即発の危機に変わりはない。今後もクルド人難民は増え続けることが予想されている。日本を目指すクルド人が急増する可能性も否めない。蕨市を中心とした埼玉南部の戸建てやマンションは、都内へのアクセスの良さや住みやすさもあり、日本人のファミリー層や外国人投資家にも人気が高い。外国人への偏見が少ない土地柄でもあるため、今後もクルド人を含め在留外国人の割合は増加していくと思われる。

 少子高齢化社会と多文化共生が叫ばれる日本では今、外国人との共存は避けられない。近い将来、今以上に移民、難民が日本に押し寄せてくることも十分考えられる。そうなった場合、住民はいかにして異国文化で育った外国人とコミュニケーションを取りながら生活していくのか。蕨はそんな近未来の日本が直面する地域社会の在り方を投影し始めているのかもしれない。

 私のような在日地球人(在名古屋地球人)が「在日クルド1・5世」の抱える複雑な思いを代弁することはできないが、日本が彼らのような若者たちの可能性を奪う国であってはならない。クルド人として受け継いだ誇り高い民族の歴史や、薄れつつある故郷の記憶…。学ぶ機会を持てずに働き続け、家計を支えてきた在日クルド人の青年は、家族への貢献を誇りとして、困難に屈せず生きている。 国家の事情に人生を翻弄されるこうした若者たちに、日本社会として、せめて日本国籍の若者たちと同等のスタートラインを用意することはできないだろうか。そして、それは「いつか」ではなく、彼らが自分たちなりの未来へと羽ばたこうとしている「今」ではないか。

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