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神にも悪魔にもされたネコの歴史

 いま日本の社会に住む人たちにとって、ネコはペットであり、パートナーでもあり、あるいは家族の一員でもあるという位置づけだ。しかしながら、ネコの存在価値はそれだけではない。警察犬、盲導犬など現代社会でも活躍が目立つ犬に比べて、ネコは何の役に立たないなどと思ったら大間違いだ。人間と暮らし始めた5000年前から、ネコは人間にとって役に立つ動物であり続けてきた。
 例をあげると、しばらく前までスコットランドにはウイスキーの樽をネズミから守るための『ウイスキーキャット』がいたし、中国や日本では、蚕棚かいこだなのまわりにいるネズミをネコが減らしてくれたのだ。

 古代エジプトでは神聖視されていたネコも、極端に追害されだ時代があった。中世のヨーロッパて「悪魔の手先」や「魔女の使い」として多くのネコが処刑されたのだ。
 12世紀を迎えるころ、ヨーロッパではローマに教皇庁を構えるキリスト教が大きな力をもち始め、他の宗教を排除する動きが厳しくなった。そして、
教皇庁から「異端」として弾圧された宗教やキリスト教の新派のなかに、ネコを崇拝するグループがあったことから、ネコに対する迫害も行われるようになっていくのだ。
 一神教であるキリスト教徒から見れば、ほかの宗教の神はすべて悪魔であり、ネコはその悪魔の使いと見なされたのだ。16世紀になると、イギリス、フランスなどヨーロッパの広範囲で魔女狩りが行われるようになった。イギリスでは、1560年代から魔女裁判が開始され、最初の裁判で「魔女」と断定された母と娘、そして彼女たちの飼いネコも一緒に処刑された。これ以降、イギリスでは100年近くにわたって、主にネコと暮らしている独身女性たちが『魔女』として殺される不幸が続いた。それにしても、人間の生活圏にはさまざまな動物がいるのに、なぜネコだけが悪魔や魔女と結びつけられたのだろう。これは、ネコの容姿や能力、神秘性にも関係があるのだろう。

 たとえばネコの目は、わたしたち人間と同じように、ほぼ水平に位置している。犬と比較してみると、犬の場合は目が水平というわけではなく、人間と正面から見つめ合うという感じはしない。もし目が合ったとしても、犬のほうがすぐにスッと目をそらしてしまう。馬や羊、鳥たちも犬と同じだ。
ネコたちだけが、人間と目が合ったとき正面から見つめ合える。しかもネコたちは目をそらさず、じっと人間をみつめる。高いところから、人間を見下ろしていることもある。

 このことが、異端者を排斥しようとしている人たちには、「邪悪なもの」と映ったのかもしれない。あるいは、自分の心の中にある後ろめたい思いを、ネコに見透かされているようで恐ろしく感じたのかもしれない。暗闇で目が光るという要素も、ネコを快く思っていない人間にとっては、よけい恐るしく思えるのだろう。また、ネコは見えない角度から近づいてきても、まったく気配を感じさせない。気を許している人間に対しても、犬のように媚びたり、命令をきちんと聞くわけでもない。そんなところから、得体の知れない力をもっているという考えが浸透していったのかもしれない。

 しかしながら、ネコの目の構造や行動は、ネコを神格化する要素にもつながった可能性が高い。ネコが神殿の柱に上がって人間を見つめていると、それだけで啓示を与えてくれるような気になったのかもしれない。長い歴史のなかで、ネコは神と崇められたり、悪魔の手先にされたりしてきたが、これも人間が勝手な憶測や想像で決めたことだ。ネコたちは、ネコそのものの生き方をしてきただけだと思うのだ。

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