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でんでんむしのかなしみ

 愛知県半田市に生まれ、29年という短い生涯に、「ごんぎつね」「てぶくろをかいに」をはじめ、世代を超えて愛される多くの名作を生みだした新美南吉…今年で生誕110年となる。美智子上皇后は児童文学に造詣が深く、皇后陛下として1998年にインドで開催された児童図書評議会の世界大会に出席された際の講演で、幼少の頃に読んだ南吉の「でんでんむしのかなしみ」に触れられた。

 でんでん虫は、ある日突然、自分の背中の殻に、かなしみが一杯つまっていることに気付き、友達を訪ね、もう生きていけないのではないか、と自分の背負っている不幸を話す。友達のでんでん虫は、それはあなただけではない、私の背中の殻にも、かなしみは一杯つまっている、と答える。小さなでんでん虫は、別の友達、又別の友達と訪ねて行き、同じことを話すが、どの友達からも返って来る答は同じだった。そして、でんでん虫はやっと、かなしみは誰でも持っているのだ、ということに気付く。「自分だけではないのだ。私は、私のかなしみをこらえていかなければならないのだ。」ともう嘆くのをやめた。

新美南吉「でんでんむしのかなしみ」

 美智子皇后陛下は「でんでんむしのかなしみ」を紹介した際、次のように語られた。
 「(この話を初めて読んでいただいたのは)4歳から7歳くらいまでのことだったと思います。その頃、私はまだ大きな悲しみというものを知りませんでした。だからでしょう。最後になげくのをやめた、と知った時,簡単にああよかったと思いました。それだけのことで、特にこのことにつき,じっと思いをめぐらせたということでもなかったのです。しかし,この話は,その後何度となく,思いがけない時に私の記憶に甦って来ました。殻一杯になる程の悲しみということと,ある日突然そのことに気付き,もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが,私の記憶に刻みこまれていたのでしょう。少し大きくなると,はじめて聞いた時のように,「ああよかった」だけでは済まされなくなりました。生きていくということは,楽なことではないのだという,何とはない不安を感じることもありました。それでも,私は,この話が決して嫌いではありませんでした。」
 
 この講演で紹介されてから、それまで「あきらめの物語」としてとらえられていた南吉の「でんでんむしのかなしみ」に対する世間の評価が一変する。悲しみと共に生きていく覚悟こそが、その悲しみに負けない強さと他人の悲しみをいたわる優しさを私たちに与えてくれるのだと…。自分の悲しみばかりにとらわれ、その不満や怒りを他者や社会にぶつける人が増えてきている現代、特に東日本大震災によってあまりにも多くの人々が深い悲しみを背負うことになった今、「悲しみは誰でも持っている。私は私の悲しみをこらえて生きていかなければならない。」というこの作品が私たちに投げかける意味は深い。

 あまり知られていなかった新美南吉の名を世に知らしめたのは美智子皇后陛下だった。南吉の詩「天国」を引用した子育ての一文を、母校の文集に紹介したのがきっかけだ。「天国」には、南吉の母親観と美智子皇后陛下の子育て観が凝縮されている。

おかあさんたちは、みんな一つの天国をもっています。どのおかあさんも、どのおかあさんも、もっています。それはやさしい背中です。どのおかあさんの背中でも、あかちゃんが眠ったことがありました。

新美南吉「天国」


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