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アニマル・ウェルフェア(動物福祉)

 私は動物が好きだ。私が14歳の時に我が家にやって来たミニ柴はやせ細り、おどおどして、その命は1年も持たないかもしれないと言われていたが、19年も一緒にいてくれた。高校生の時も大学生の時も社会人になってからもずっと一緒に暮らした。天国に旅立つときは、私の腕の中で息を引き取った。涙が止まらなかった。
 ミニ柴が高齢になったころ、私が駐車していた車の下から猫の鳴き語がした。タイヤの上に登り、降りられなくなった子猫がいた。小さな円柱型の箱にすっぽり入るほどの大きさの猫…我が家に連れて行くと母から一晩だけだよとくぎを刺されたが、翌朝には母もその猫と別れられなくなるほど可愛かった。その猫は18年間一緒にいてくれた。
 私たち家族は、19歳まで生きてくれた犬も、18歳まで生きてくれた猫も、名古屋市内の動物霊園(長楽寺)にて火葬し、お骨上げを詩、葬儀を行った。小さな仏壇を購入し、現在は母の住むマンションに安置してある。

 日本では田舎でも都会でも、犬をつないで飼う。あるいは、犬も猫も狭い部屋の中に閉じ込めて飼い、人間の都合で散歩に連れていく。動物たちが自由にできない環境を与えながらも、動物を可愛がっているという人間のエゴのもとに満足感を感じている。でもよく考えれば、本来自由に動き回れる動物をひもにつなぐことは虐待なのかもしれないと思うことがある。ペットを飼うこと自体が、ある種の虐待行為につながっていく。ペット産業が繁殖犬や繁殖猫を酷使し、6歳が過ぎたら用済みの扱いを受けているという実態がある。日本における動物虐待の中でも残酷なケースである。
 
 この4月末、我が家にヨークシャテリアとマルチーズの混合種マルキーがやってきた。保護犬をの団体を訪れ、高3の娘がすっかり気に入り、我が家に来ることになった。6年間、ただ子どもを産み続けるだけのために生きてきた犬だ。「ことり」という名前が付けられていたが、娘が「子どもを取るためだけの犬」だから「ことり」という名前なんじゃないのかと想像してしまったようで、「はるのことり」という名前をつけた。いま我が家ではみんなが「はるちゃん」と呼ぶ。(私のクリエーターページの写真および上記の写真が「はるちゃん」)
 保護犬の団体にいるときはガタガタと震えていた。心と身体にかなりのダメージを受けていたことは想像に難くない。我が家に初めて連れてきた時も不安そうな表情だった。「自分はいったいここで何をされるのだろう」という気持ちだったかもしれない。きっと、ブリーダーのところでは、狭いケージの中でエサを地べたに置かれ、大小便もそこで排泄していたのだろう。エサ皿にいれたフードを食べるようになる、決まった場所で排泄をする、外をお散歩するなどというのも我が家に来て初めて知ったに違いない。6年間にわたって地獄のような生活を体験し、我が家に来た。いまはソファの前でのびのびと眠ったり、私たちが帰宅するとジャンプして大喜びしたり、私たち家族に甘えたり、犬本来の人懐っこさを取り戻したように思う。いまではまさに我が家のアイドルだ。

 ヨーロッパ人は動物と人間を切り分けて考え、歴史的に長く身近に、動物と接してきた。たとえば、犬をしっかりトレーニングし、犬ができる限り自由に暮らせるようにしている。リードなしで犬を連れ歩く場面に出くわすのは、こうしたことの積み重ねの結果だ。海外では犬の散歩道に犬用の水飲み場が設置されているところもある。
 日本では、犬にリードをつけて、ブランド物の服を着せ、ベビーカーみたいなものに入れて商業施設のなかを連れ歩く姿も見る。犬ははたしてそれを嬉しいと感じるだろうか。かわいがっているだけで、動物に動物として向き合い、その自由な行動を尊重できていないと指摘する人もいる。

 欧米先進国を中心に、畜産動物をはじめとするあらゆる動物について、「飢えや渇きからの自由」・「不快からの自由」・「痛み、外傷や病気からの自由」・「本来の行動する自由」・「恐怖や苦痛からの自由」という「5つの自由」が大切だという動物福祉(アニマル・ウェルフェア)の考え方が根付いている。日本では、そもそも動物福祉を学ぶ機会がほぼないに等しい。動物を擬人化し、人間と全く同じように扱うことが愛情であり、大切にすることだと考えがちだ。でも、そうすることが動物本来の行動にかなっているのか、動物にとって快適なのか、一度立ち止まって考えたほうが良いのではないのか。人間についてだったら、当然考えることなのに、同じ「命あるもの」である動物たちのこととなると、考えられない人が多い。社会として、この点での想像力が欠如していることは、とても危ういことだと感じる。
 
 ブリーダーやペットの販売業者を、動物愛護法が十分に規制できていない。その裏側では、動物への虐待行為が平然と行われている。動物を展示販売するビジネスがなくなる兆候がない中で、現状、日本の動物愛護団体は、保護犬・保護猫を助けるための活動に精いっぱいだという現実がある。

 日本という国が立ち遅れている「動物福祉=ペットや家畜など、人が利用する動物に必要以上の苦痛を与えてはいけないという考え方」という考え方…いま日本は世界の常識から取り残されている。私もその一人だという自戒をこめて。


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