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アンパンマンのなぞ

 「ねぇねぇ、どうしてアンパンマンは頭をあげるの?」

 昨年3月まで児童養護施設の施設長をしていた私は、いつのことだったか、テレビで『アンパンマン』を観ていた年長さんの男の子から質問された。

 「あれはね、頭じゃなくて顔をあげてるんだよ。アンパンマンの顔を食べると元気になるんだよ」

 私はこのように説明したものの、その男の子が発した素朴な疑問への回答として正しいのかどうか、自己矛盾を感じてしまった。顔でも頭でもどっちでもいいのだが、「自分の顔をちぎって相手に差し出す」って、もしこれがアニメじゃなく実写だったら、とんでもなく凄惨になってしまうと思ったからだ。その考えそのものが大人のあざとさ、ロマンのなさなのかもしれないが…。子どもが疑問に思うのももっともなこと…アンパンマンの夢の世界を壊しかねない、貧しい発想しかできない大人としての未熟さを自覚した瞬間だった。

 大人の貧しいはっそうのついでに、アンパンマンの古い顔はいったいどうなるのだろう。そのまま放置すれば、世界はアンパンマンの汚れてゆがんだ顔の残骸でいっぱいになるだろうし、それこそカビが生えてしまい、バイキンマンの思う壺なのではないだろうか。それとも、ジャムおじさんの愛犬チーズが回収しているのだろうか。

 最大の疑問は、あれだけの科学力を有するばいきんまんがどうしてもアンパンマンに勝てないこと…水戸黄門が印籠を出すかの如く、物語の最終版になると、アンパンチをくらって「ばいばいき~ん!」と空の彼方に消えていく。ドキンちゃんのわがままを叶えるために、科学力とカビルンルンを駆使するばいきんまん。ある意味、人間的な欲望と弱さをもった純粋な存在なのかもしれない。

 アンパンマンの作者であるやなせたかし氏は、雑誌のインタビューの中で、「どうしてアンパンマンを考えついたんですか?」という質問に次のように答えている。

 『ボクはアンパンが大好きなんです。それとボクにとって正義の味方とは、ひもじい人を救う人なんです。正義を行うと、自分も傷つくものとボクは思っているんです。だから、アンパンマンはひもじい人に自分の顔を割いて食べさせて助ける。アンパンマンにはそういういろんなボクの考えがこめられているんです。』

 「正義を行うと、自分も傷つくもの」…うーん、含蓄のある言葉…まさに真理だ。これから「アンパンマン」を観る時の視点が変わるのではないだろうか。いろんなことを考えさせられる、大人にとっても奥の深いアニメだと実感できた。

 さて、そのとき問題提起してくれた年長の男の子だが、やなせたかし氏の思いはまだまだ通じていなかった。アンパンマンを観おわるやいなや、周りにいた子どもたちを相手に、問答無用の「ア~ンパ~ンチ!」攻撃を開始した。

 ばいきんまんの所業を見て、「人を傷つけること」を学んでしまった彼には、アンパンを与えるべきなのか否か、悩んだ頃が懐かしい。

 余談だが、新春にドラマ「義母と娘のブルースFinal 」を家族で観た。ドラマに登場する「ベーカリー麦田の特製つぶあんぱん」がセブンイレブンで販売されていることを知り、さっそく家族分を購入し、喜ばれた。           


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