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危機に晒された海洋環境② ~気候正義と気候不正義~

 前回の記事では、プロダイバーで環境活動家の武本匡弘氏による講演『海の中から地球が見える~気候危機と平和の危機~』を受講し、世界の海がどういう状況になっているかを書かせていただいた。
 武本氏の講演の中に『気候正義』という初めて耳にする用語が出てきた。あらためて自身で「気候正義」という言葉について調べてみた。

 気候変動により、世界中で洪水、巨大な台風やハリケーン、干ばつなどの異常気象が多発している。海面上昇や砂漠化も進行し、各地で人々の命、生活、生計手段、文化が失われつつある。日本でも、度重なる巨大台風や猛暑で深刻な被害が出ている。気候変動の原因である温室効果ガスの大部分は、歴史的に一握りの裕福な国が輩出してきたが、より深刻な影響は、温室効果ガスをほとんど排出しない生活を営んでいる途上国の貧困層が受けてしまっている。彼らの多くは、気候変動に適応する能力、資金、技術も十分に得られていない。
 先進国が自国での温室効果ガスを大幅に削減し、途上国への適切な気候変動対策支援をすることで気候変動への責任を果たし、途上国の人々との不公平を正していこうという考え方が「気候正義(Climate Justice)」である。そのためには、生態系や人々のくらしへの配慮を前提とする社会への「変革」が不可欠である。
 気候危機は既に進んでいる。今すぐに行動を起こさなければならないのだ。 
<参考文献:FoE Japan 気候正義 日本でシステムチェンジが必要なわけ>

「FoE Japan 気候正義」より

 もう一度まとめ直してみると、気候変動問題における正義(ジャスティス)と不正義(アンジャスティス)は、以下の3つの意味で語ることができる。
① 1人当たりの温室効果ガス排出量が小さい途上国の人々が、1人当たり
 の温室効果ガス排出量が大きい先進国の人々よりも、より大きな気候変動
 による被害を受ける
② 先進国の中でも、貧困層、先住民、有色人種、女性、子どもがより大き
 な被害を受ける
③ 未来世代がより大きな被害を受ける

 この3つの状況が「気候不正義」であり、このような状況を変えることが「気候正義」である。すなわち、対立軸は、先進国VS途上国、富裕層VS貧困層、白色人種VS有色人種、男VS女、大人VS子ども、現世代VS将来世代などである。

 第一の先進国と途上国との間にある「気候不正義」に関する議論や対立は、歴史的には最も古く、途上国の人が世界人口の大部分を占めるという意味では最も重要なものだ。途上国の人々の主な主張は、「人口が増えて、かつ先進国に住む人たちと同じような生活水準を個々が求めれば、温室効果ガス排出が増加するのは当たり前」「歴史的な排出責任は小さいのにより大きな温暖化の被害を受けるのは不公平」の2つだ。
 これらに加えて「途上国は先進国の贅沢な消費を支える製品を作るために温室効果ガスを排出している」「先進国は、公費を使って途上国に石炭火力発電所を輸出することで利益を得ている」「公害輸出とも言える温室効果ガス排出産業の途上国への移転で先進国の国内排出量を削減したりしている」などの議論も展開している。
 今のエネルギー・システムのまま人口が増えて、各個人が冷蔵庫や車やパソコンなどを使うような豊かな生活をするようになれば温室効果ガス排出量は必ず増える。したがって、先進国の人が途上国の人に「温室効果ガス排出を削減しろ」と言うことは、「人口を制限し、かつ豊かになることを諦めろ」と命令することと同じ意味であり、少なくとも途上国の人はそう考えているだろう。

 第二は、先進国の国内にも存在する「気候不正義」だ。アメリカでは、環境問題に関わる気候不正義は常に大きな問題となっていた。それはこれまでアメリカで積み重ねられた事実が背景にある。
 具体的には、2005年8月にニューオリンズを襲ったハリケーン・カトリーナでの被害者は、貧困層、先住民、有色人種、女性、子供の割合が多かった。また、石油や天然ガスのパイプラインの敷設や鉱山開発などで影響を受ける人の中での先住民の割合も事実として極めて高い。もちろん、このような格差は途上国の中にも存在する。
 ジェンダーの問題も気候変動に関わる大きな正義・不正義の問題だ。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、気候難民、すなわち主に集中豪雨、熱波、干ばつなどの気象災害で住む家を失ったり、離れたりせざるを得なくなった人は、現時点ですでに年間2,000〜3,000万人にのぼる。国連開発計画(UNDP)などは、このうちの約8割は女性と推定している。実際に、1991年にバングラデシュで起きたサイクロン災害での死亡者14万人のうち90%が女性であった。

 第三の問題、すなわち「現世代と将来世代との間の分配問題」は、若い人にとって極めて重要だ。実際に、グレタ・トゥーンベリさんのように若者が気候正義と声をあげる場合、世代間の不正義を意味している場合が多く、その声がメディアで取り上げられている。
 しかしながら、日本の若者の中でグレタさんのように声をあげる人はまだまだ少ない。自分とは関係ないと考えている若者が大部分で、自分の未来にとって重要な問題だと思っている人の数は他の国に比べて極めて少ない。しかしながら、若者のムーブメントは残念ながら脆弱である。それだからであろうか。気候変動の問題は選挙でも大きな争点にはなっておらず、「温暖化してお米が美味しくなった」と政治家が堂々と発言するのが日本という国の現状だ。

 気候正義の定義は、武本氏の書籍に掲載されていた図がシンプルで一番わかりやすいので紹介させていただく。

「海の中から地球が見える~気候危機と平和の危機」武本匡弘 P.56

 人間は、「正義」「不正義」という言葉に敏感に反応する。一方、人はそれぞれ自分の正義を持っていて、お互いの「正義」が相容れない場合も少なくない。だからこそ、日本の若者には、南北問題、貧困、格差、ジェンダーなどのより大きな視点に立ちで、できるだけ自分の言葉で丁寧に「気候正義の重要性」を語ってほしい。その方が、かつては子どもだった大人たちの心に刺さるはずだ。

私の記事を読んでくださり、心から感謝申し上げます。とても励みになります。いただいたサポートは私の創作活動の一助として大切に使わせていただくつもりです。 これからも応援よろしくお願いいたします。