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正常性バイアスに支配される私たち

 人間の脳には心の平安を守る防御作用が元々備わっている。正常性バイアスもその防御作用の一種だ。正常性バイアスとは「正常化の偏見」と呼ばれる心理学の用語で、予期しない事態に対峙した際に、「ありえない」「考えたくない」という心理状況に陥りやすい人間の特性を指す。正常性バイアスは日常生活の中で生じる様々な変化や新しい出来事に対して心が過剰に反応して疲弊しないために必要な働きであり、ストレスを回避するために自動的に機能し、心を平静に保つという点では有効である。

 例えば、私の住む愛知県一帯では、南海トラフ地震はいつどこで発生してもおかしくないと言われている。様々な被災想定をテレビ等で見聞きする機会は多いが、かといって、いつ来るかわからない大地震に日々脅え、常に防災用具やヘルメットを身につける人はいない。普段から感じられる変化や情報に対し、極端な不安やストレスを感じず、歪んだ捉え方をしないために、正常性バイアスの防御作用は必要だ。
 しかし、災害発生などの非常時にこの防御作用が働いてしまうと、本来であれば「危険な状態」と判断すべき事象を「大きな問題ではない」と誤認する恐れがある。甚大な被害を出した東日本大震災では、「大地震の混乱で、すぐに避難できなかった」「あんなに巨大な津波が来るとは想像できなかった」と答えた人がたくさんいた。また、御嶽山の噴火の際にも同様の心理が働いていた可能性が指摘される。火山の噴火という危険な状態に接しても、「大丈夫だろう」とバイアスが働き、立ち上る噴煙を撮影していたため、避難が遅れた人が少なくなかった。非常時に的確な行動を取れるか否かの明暗を分ける「正常性バイアス」の働きを、過去の災害が教訓として示唆している。

 このnoteにもイソップ物語の「オオカミ少年」を以前投稿した。羊飼いの少年が退屈しのぎに「狼が来た!」と何回も嘘を吐いていたら、本当に狼が来た時に村人たちに助けてもらえず、羊たちが狼によって食べられてしまったという話だ。一般的には、嘘をつくのは良くないという教訓として子どもに伝える物語として有名だが、大人向けに視点を換えた面白い捉え方がある。少年のウソに慣れてしまい、狼に襲われるかもしれないというリスクを軽視した村人に焦点を当てた考え方だ。嘘をついた少年を切り取るのではなく、「きっと今回も嘘だろう」とタカをくくり、その油断によって羊を失ってしまった村人たちを切り取っている。

 新型コロナウイルスに対しても、正常性バイアスが働いた。当初は事態を軽視し、「日本は大丈夫だ」「自分だけはかからない」という根拠のない思い込みが先行した。お茶の間で大人気だったコメディアンや女優さんがコロナウイルスに感染して数日で亡くなるという悲劇は、正常性バイアスに陥っていた私たちの目を覚ましてくれたが、「若者はかかっても重症化しない」という油断は、若者の行動化を促進し、経路不明の感染者を激増させてしまった。正常性バイアスの負の作用に踊らされた結果、私たちは緊急事態宣言による外出自粛状態と学校休業により、ストレスフルな毎日に3年ほど苦しむ結果となった。

 最後に、正常性バイアスによって発生しうるトラブルについて2点だけ説明しておきたい。

 一つ目は、前述のように「命に危険が及ぶ可能性がある」ということだ。
災害が起きた際には、迅速な状況確認や避難が重要となる。他にも事故により「怪我をした・怪我をさせてしまった」という場合にも、救急車を呼んだり手当をしたりと、状況に応じた対応が求められる。しかし正常性バイアスが働くと「自分は被害にあわないだろう」「死ぬことはないだろう」といった考えに陥いりがちだ。そのため、避難や対処が遅れ、最悪の場合には命を落としてしまう可能性がある。正常性バイアスは人の心にもともと備わっている機能なので、完全に排除することは困難だ。そのため、予め災害をはじめとする非常事態において「100%大丈夫」という状況はないと認識しておくことが重要だ。

 二つ目は「リスクヘッジが遅れる」ということだ。正常性バイアスが働くと、「このぐらい大丈夫だろう」という思考に陥ってしまう。そのためリスクへの備えが薄くなったり、遅くなったりしてしまう可能性がある。例えば災害はいつ起きてもおかしくないのだが、そう分かってはいるものの、「しばらくは起こらないだろう」「時間のある時に備えればいいだろう」と防災グッズの用意を後回しにしてしまったり、ハザードマップの確認を怠ったりしてしまうケースも少なくない。いざ災害などが起こったときに焦らないよう、今できる備えは今から準備してくことが大切だ。

 「正常性バイアス」が私たち自身を危機や危険に追い込む可能性があるということを自覚しておくべきなのだが、それがなかなかできないのが私たち人間という生き物なのかもしれない。

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