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昨日の感想(47都道府県戯曲リレー「だれかれかまわず」・下鴨車窓「微熱ガーデン」)

コロナ流行後に、観劇をすることが出来なくなった。半年前まで劇場に行くことは日常茶飯事だったが、パッタリと無くなった。人と交流を持つことは「密」で「避けたいこと」なんて、半年前には無かった価値観だと思う。ネット配信を観たり、読書をしたり、仕方なく自宅で見られるメディアに頼るしかない。だけど、演劇のネット配信にはどうしても食指が伸びなかった。ネット配信の不利点(不都合点)は、別に僕個人の主観でも何でもなく、利用する方々が共通して感じる所だと思うから、わざわざ書くつもりはない。それよりも自分は、ネット配信がそれまでの観劇体験を補完するものかどうかが懐疑的だった。観てもいいけど、果たしてそれはどうなんだろう。下手したら今読んでいる本とか、見ているNetflixに及ばないかもしれないな。それを感じたら演劇をこれから信じていけるかな…と思って、食指が伸びなかった。
昨日、演劇関連で2つの配信を立て続けに拝見した。


①47都道府県戯曲リレー「だれかれかまわず」リーディング配信(YouTube)

長崎の「劇団ヒロシ軍」荒木さんがTwitterで端を発し始まった、戯曲のリレー企画。みるみるうちに各都道府県の劇作家から1ページの戯曲が集まった。広島・INAGO-DXの武田宜裕さんや、愛媛・Unit outの玉井江吏香さん、島根の亀尾佳宏さん、茨城・イチニノの前島宏一郎さんなど、自分にとっても馴染み深い名前もあった。リーディングに出演する役者も全国各地の俳優さん。中には演劇Vtuberという、僕にとっては未体験の分野の方々も参加されていた。

戯曲の段組み・フォントのデザインや大きさ・縦書きor横書きなど、各劇作家のタッチが見えて、中には劇団のロゴが入っていたり、戯曲の背景に絵を描いている方もいらっしゃった。
47人も劇作家が参加すると、それはそれは混沌としていて、特に序盤から中盤の劇作家の皆さんの中にはおそらく、意図的にカオスにしてやろうという色気がムンムンに出ていて、一方でマジメな劇作家が整えたり、マイペースな劇作家は意に介さなかったり、劇作家の性格が如実に出ていた。
それぞれのページの倫理観や思想は全然違う。その中で他の視聴者がどの部分に注目しているのかをYouTubeに投稿されるコメントやTwitterのツイートで同期的に観ていくのが、普段の舞台での演劇では出来ない所だと思った。
これはもう、出来不出来の話は置いておいて、いかにこの祭りを楽しむかが重要だと思った。それはリーディングを聞く視聴者や、演じる俳優さんに限らず、参加する劇作家の皆さんの楽しみ方を知って、僕らはそれを興味深く観ていく、そういうシステムの享楽だと感じた。
個人的には後半の福岡・田坂哲郎さん(非・売れ線系ビーナス)⇒福島・長門美歩さん⇒北海道・上田龍成さん(星くずロンリネス)の流れがとても味わい深くて良かったのと、ラストの愛知・刈馬カオスさん(刈馬演劇設計社)のページの、意表を突いた、全国の劇作家に対するレクイエム的な、虚無と前進の気持ちが交差するようなじんわりくるラストが刺さった。


②下鴨車窓「微熱ガーデン」配信(YouTube)(※少しネタバレも含む)

(※まだご覧になっていない方は7/7(火)までアーカイブ配信が視聴可能ですので、そちらから是非ご視聴して、その後に以下をご覧ください!)
https://www.youtube.com/watch?v=INohuj-IzIY

18時半くらいに戯曲リレーが終わって、色々ツイートした後に数分遅れで、時間差で下鴨車窓「微熱ガーデン」の配信を観た(数分遅れで始めから観れるのは配信の有難い点かもしれない)。
人間座スタジオからの生配信で、久々に見るブラックボックスの劇場が少し懐かしく感じた。なんとなく、愛媛のシアターねこを思い出した。

女子大生の結(演:中村彩乃)と理奈(演:野村明里)は、加藤という人物に従って違法な植物(話の限りでは脱法ハーブ的な?)を栽培している。常に警察の眼に怯えながら、隣人の眼を掻い潜りながら息をひそめながら植物を育てて生活する二人。
結は、辞めたい気持ちを隠せないが、自身の経済状態、そしてこの植物のお陰で給料がもらえ、生活が出来ているからこそ強く踏み出せない。理奈は、そんな結の不用心さを責めつつも、栽培への関心の高さを褒めながら必死に結を引き留める。労働と搾取、姿を見せない加藤との関係性が二人に闇を落とす。下の階のおじいちゃんが数か月前に孤独死し、その孫の野間(演:吉田知生)が遺品整理のため訪ねてくる。結は思わず野間を植物の部屋に招き入れてしまう。そこから結と理奈の、絡み付くように離れなかった植物の「秘密」が少しずつ解け始め、秘密が抱えきれないほど大きく肥大していったクライマックス、二人は壊れ、泣き崩れ、秘密から手を離なす。
そしてラスト、時間軸はここまでよりも前の、まだ何も知らない二人のシーンに移行する。夏で、下手の日差しは強く照りつける。電球も、演劇部から借りた照明も、照らさない。まだ何も知らない二人は、強く照らす日の光のように、明るく笑い合いながら、知らぬうちに「秘密」の準備に手を染めていた。


簡易的に棒で狭い1室を見立て、奥から3列、机の上にバケツに植えた植物が並んでいる。上手には「演劇部から借りた植物用の照明」が、頭上では白熱の電球がぶら下がり、それぞれが強く照らす。下手の窓からは日の光の照明が柔らかく差していた。照明が効果的で、かつ簡素なセットのため、人と、不気味に整列する植物が時折浮き立つさまが印象的だった。
観客がいないため、静かに物語は進行していくが、おそらく本来は声を出して笑ってしまえるシーンがいくつもあると思う(沖縄銀行のくだり、入室者が来た時のマニュアルを練習するくだりなど)。
静かに自然に進行しているようだが、実はセリフの言葉が一言一句漏れないようにハッキリと発語されている。だからこそ淡々と物語で語られる現実が冷たく突き刺さっていく。

加藤と結・理奈の明らかに理不尽な主従関係に、例えば企業の外国人労働者に対する搾取の関係性を思い浮かべた。二人には救われてほしい。だが、多分、厳しい未来が待っているのだと思う。「秘密」と「お金」のせいで二人の間に生まれる歪みがもどかしい。二人の間で、元の関係のように笑いあおうとする場面があるが、必死で、二人とも心から笑いあえない様子も、悲しい。


去年、シアターねこで上演されていたので、その時に観ればよかったな…と後悔するほど、距離の遠い配信の映像でも、その演劇的なカタルシスや、舞台美術の美しさなどに触れられて、面白かった。

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