【掌編小説】ファインプレー
ファインプレー
神宮 みかん
甲子園決勝。鳴り響くあと一人のコール。しかも、バッターは八番と下位打線。ただ、スコアーは二対一。ランナーは二、三塁。一球の玉の狂いも許されない場面である。
ストライク!
審判は大きく手をあげた。
三塁ランナーコーチの息子はピッチャーのクイックモーション、内外野の守備位置、相手方のベンチ、キャッチャー、そして自分たちのベンチの指示を丁寧に確認し、ランナーに目配せをした。
思えば、息子は私の影響で野球を始めた。めきめきと上手くなり小、中は県内において名のある外野手となった。
そのおかげで甲子園常連校のスカウトの目に留まり野球留学を決めた。私にとっても、我が地区の野球関係者にとっても大きな自慢になった。しかし、井の中の蛙大海を知らず、進学後、レギュラーの座を射止めることはできなかった。また、レギュラーになれない関係から寮を出て、一人暮らしを強いられた。
私はそんな息子が高校を辞めてしまうのではないか? と、気が気ではなかった。実際、地区の野球関係者の方から息子について聞かれた時、うちの子は元気にやっていますよ、と答えることにどことなく辛さと他人を騙しているような後ろめたさがあった。
だから、息子にベンチ入りできたよ、と連絡をもらった際の喜びは表現しようがない。でも、ポジションについて尋ねると、口を濁し外野の補欠とのことだった。
夏の県予選を息子の高校は制した。県大会優勝後、一度県外から帰省した息子は言った。
「下宿までさせてもらって野球を続けさせてくれてありがとう。子どもの頃から夢だった甲子園に行くことができた。精一杯頑張ってくるよ」
脱丸刈りが進む高校野球において息子の坊主頭を見ながら厳しい高校生活を送っているのだろうな、と思った。同時に、そこまで息子を駆り立てたものは何だったのだろう。いつか厳しい環境に身を置き、継続できたことは大きな糧となるだろう、と思った。
私は言った。
「甲子園行くことができて良かったな。ベンチからいい声出せよ。応援に行くから」
「いいや、ベンチからじゃないよ。三塁ランナーコーチの役をもらったんだ」
「三塁ランナーコーチ? 立っているだけだろ? 俺だってこの前、ソフトボールの試合で三塁ランナーコーチをしたぞ」
息子は笑いながら言った。
「何を言っているんだよ。ランナーコーチは相手チームの状況を把握し、タッチアップ、二塁ランナーの生還ができるかの際どい判断をする大事な役割だよ。日本一のチームの三塁ランナーコーチになって帰ってくるよ」
ストライク!
投げられたボールはキャッチャーミットに小気味の良い音で吸い込まれカウントはツーストライク、ノーボールになった。
ブラスバンドの大きな応援が響き渡るが、八番は甲子園に来て二割台、しかも絶好調の相手ピッチャーに対して三打席連続三振。もう既に隣に座る妻は泣いている。
私も息子のことを思い、空を見上げ、必死に涙を堪えた。
その時だった。甲子園がどよめいた。
キャッチャーがピッチャーにボールを返球しようという瞬間に三塁ランナーが走り出したのだ。
打てないと判断したのだろうが、あまりにも無謀な作戦と思われた。だが、一か八かにかけたのだ。
砂ぼこりとともにホームに三塁ランナーは頭から突っ込んだ。タイミングはアウトだった。終わったなと思った。
だが、慌てたピッチャーがホームに悪球を投げ、キャッチャーが落球した。
次の瞬間には息子の手がまわり、二塁ランナーがホームをついた。
試合終了後の勝利監督インタビューで、インタビュアーは劇的な勝利に関して監督に聞いた。
「ホームスチールは監督の指示だったんですか?」
「違います。生徒全員。特に三塁ランナーコーチのファインプレーです。甲子園決勝において勝利を確信した相手校の心理的油断の隙をついた試みだったと思います」
「失敗する確率は大きかったと思いますが、いかがでしょうか?」
「大きかったと思います。ただ、成功した。あくまでも結果論ですが、データに拘らずにプレーした選手を評価したいです」
甲子園オーロラビジョンに情熱がほとばしる息子が映しだされた。私は高鳴る思いをくれた息子に心底感謝した。
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