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「おせっかい」のその先

 最近は、勉強やら、就活やら、あとは勝手に遊ぶ予定をいれて、アップアップになりながらも何とか生きています。

 今日は、その就活での相談員との面談で、とても心に残った事があったのでそれを書いてみようと思います。

 あるESの自己PRで、私は「おせっかいマン」です。と書きました。
 「お節介」と聞くと、まず思い浮かぶのはマイナスなイメージ。余計なお世話や、かえって迷惑になること。だと思います。
 もちろん、この言葉を使ったのには理由があって(そんなに深く考えて使った訳でもないが)、自分が働いているバイト先でとても大事にしていることが「おせっかい」だったから。「おせっかい」をするというサービスで同様のお店との差別化を図っていると思います。
 自分が働く上でもこの「おせっかい」はすごく共感していて、お客さんはお客さんで食事を楽しんでいるけれど、そこに+αでより美味しく、より快適に楽しんでもらえるような気遣いができればいいな〜と考えながら働いています。

、、じゃあ、「おせっかい」と「迷惑」と「親切」の境目って??

 相談員との面談で、もう少し「おせっかい」というキーワードについて考えてみましょう。と言われました。
確かに、、「迷惑」と「親切」の境界って曖昧だよな。。

「迷惑」: ある行為がもとで、他の人が不利益を受けたり、不快を感じたりすること。また、そのさま。(コトバンクより)

「親切」: 相手の身になって、その人のために何かをすること。思いやりをもって人のためにつくすこと。また、そのさま。(コトバンクより)

「御節介」: 出しゃばって、いらぬ世話をやくこと。また、そういう人や、そのさま。(goo辞書より)

 自分は、相手の身になっている、思いやっている、と「親切」のつもりが、相手にとっては「迷惑」で「おせっかい」となってしまうことは多々あると思います。

「迷惑」と「親切」の境目は、結局のところ相手がどう感じるか。でしかなく、どれだけ相手の身になれるか。ということ。(当たり前のこと言ってるだけやんとか言わないで🤣)

 だけど、相手の心に寄り添うとか、その人の立場になってみた考えるとか、その人が今どんな気持ちでいるか、とか難しいですよね。メンタリストじゃないし。
 だから現代では、親切かもと思っても「何もしない」が得策だったりする。そうなるとどーなるかと言うと、何か、疎外感だったり、孤独だったり、どこか人の温かさというものが失われてしまっている。

「おせっかい」のその先にあるもの

「迷惑」になるくらいなら、何もしないほうがいい。

そんな雰囲気ばかりの今だからこそ、「おせっかい」には大きな意味があると思います。「迷惑」になるリスクはあるけれど、失敗することもあるけれど、挑戦しなきゃ何も変わらない。「おせっかい」に挑戦して得られる「親切」という人の温かみを大切にしたい。

これからも「おせっかい」に挑戦し続けて、失敗することがあってもそこからたくさん学んで、その先にある価値を届けたいです。

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