見出し画像

物事との距離感

一日の内で、人はあらゆるものと関わる。物理的に何かと触れる時間もあれば、精神的に関わる時間もある。仕事や人間、趣味など、好むことにもそうでなことにも時間を費やす。

その中で、何にどれほどの時間を費やすのかという選択が、人生の"総合的な"豊かさを最大化することに大きく関係していることを、以前の記事『「時間」と「満足度」の関係性』で述べた。それは、別のニュアンスを含む似たような表現をするのであれば、物事との「距離感」と言えるのかもしれない。

特定のものに多大な時間と労力を費やすとき、人はそこに執着を抱くことが多い。何か目標を掲げ、それを目指すことに日々の時間を割いているのであれば尚更だ。物事と接する時間が長く、かつそこに何かしらの期待を抱いているのであれば、その物事と自分との距離感は近くなる。

近い距離感でも自然と接することのできる人もいる。「好きなこと」とは一般的には、その行為自体から喜びや満足を感じられるものだ。しかし、少なくとも僕の場合は、好きなことであっても四六時中続けていられるかというと無理がある。何事も適度な距離を持って接している。

物事との距離感をいかに自分にとって丁度よい具合に維持するのかということが、豊かさを増やす上では重要だ。一つひとつの物事との距離感を適度に保つことは、それについて考える時間、行動する時間を適切に確保することと言える。自分の総合的な満足度が最大化する最適なポイント(時間)にまで、それぞれの物事に時間を費やし、距離感を調整するのだ。

余談ではあるが「距離感」という表現は、人によって幅広い意味を持つように思う。単純に時間を費やすということとは異なるニュアンスを含んでいる。時間という概念も包括して、費やす「労力」や、それに対する「期待」が関係しているのかもしれない。「距離感」という言葉は人間関係にもしばしば用いられる表現ではあるが、おそらく多くの人は、物事と人間とで関わり方は異なるだろう。その差異を分析することから、豊かな人生を歩むヒントを得られるかもしれない。

2022年9月12日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?