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世間との境界を跨いだのはいつ頃だろうか

前回の記事では、自分が「非常時対応」の人間であることを示した。すなわち、社会制度に則り、自分の利益を最大化して生きていく人間ではなく、既存のシステムが崩壊し始めた閉塞感の漂う時代に方向性を示すことのできる人間だ。そして、内田樹さんは、自分が「才能」を持つ平時向きの人間なのか、「真の才能」を持つ非常時向きの人間なのかは、生まれながらにして決まっていると述べる(詳しくは前回の記事を参照)。

閉塞感の漂う、局所的には秩序が維持された混沌とした時代に、方向性を指し示すことのできる能力は生得的なものであるとのことだが、果たして本当にそうだろうか。僕は、自分が非常時対応の人間なのだろうと感じている。自分の行動や考え、全てが根本的に他人と異なっている。しかし、それはある時点で変化を迎えた結果である。それまでは、いわゆる前回の記事で言うところの「富貴の人」として生きてきた印象がある。

他者に理解されないということが苦痛である時期も過去にあった。その時期を振り返って思うことは、いつ頃から「こちら側」に来てしまったのだろうかということだ。僕はどこかで方向性を転換し、平時対応から非常時対応の人間へと変化した気がしている。生まれながらにして、「真の才能」と言われるような視点や思考、感覚があったのかというと疑わしい。

周囲の人々の多くは、平時向きの人間だ。そのような人間とリアルな空間で関わっていると、自分が特殊な思考と感覚の持ち主であることが分かる。かつての僕は、彼らと自分との境界を明確に認識しておらず、「こちら側」の思考の形式と中身を、様々な言動を通じて示していた。

ところが、冷静にその時のことを思い出すと、彼らは彼らなりの視点で「あちら側」で頑張って生きていることがわかる。今では、彼らの生き方を理解し、受け入れることができる。それと同時に、自分がその境界線を跨いだのはいつ頃だろうかと考える。

おそらくは高校の3年間で変化したのだろう。少なくとも高校2年の7月以降(合気道を始めたとき)は、はじめて自分の世界観の確立に情熱を注いだ時期であり、現在もなおその作業は続いている。

僕の一連の変化は、頭で考えて行動したことによるものではない。不明確だが、心から溢れるばかりの興味や関心、情熱、好奇心を徐々に表現した結果である。これは論理性を超えた、言語化することが困難なものを源泉にした思考と行動だ。

源となるそれらの感情やエネルギーは、経験的に得られるものではない。もし、後天的に培われたものであるとするならば、言葉で説明することが可能だ。しかし、我々は「なぜかこれがやりたい」「なぜかこれに惹かれる」といった、明確に理由を説明することのできない何かに突き動かされる。

それが内田樹さんが、「才能」あるいは「真の才能」を「生得的な傾向として、私たちの身体に刻みつけられている」(p.230)と説明した理由であるのかもしれない。

あくまで僕の解釈ではあるが、そのような意味では、「才能」を持つ平時向けの人間も、「真の才能」を持つ非常時向けの人間も、それらの能力とは別に、行動の源となるものを生まれながらに備えていると思う。平時対応の人間は、それに気がついておらず、社会常識および自分への信頼の欠如が、社会システムの最大限の利用へと、彼らの行動を駆り立てているのではないだろうか。

『武道論』に書かれた文章の文脈と、少し噛み合わない内容となってしまったかもしれないが、深い共感を得る内田樹さんの文章から、このようなことを考えた。

2022年1月4日

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