このまま甲子園だけに行けたのなら、どれだけ楽しかっただろう
11月の週末、出張先の仙台から急きょ、空路で伊丹に降り立った。自宅に寄る暇なんてなかったので、ジャケットなんて持っていない。できるだけフォーマルに見えて、地味な配色の服装で甲子園に向かった。
数年ぶりにやって来た阪神甲子園駅前は、自分が知っている姿から様変わりしていた。スタバがあり、駅前の広場では高校生たちによる「3x3」バスケの大会が行われ、DJが盛り上げていた。
「素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた彼らに、大人たちも大きな拍手を!」
確かに試合終了まで1分を切っても、どちらが勝つかわからない熱戦。面白い試合に心の中で拍手を送りながら、演出にはちょっと白々しくも感じていた。幼なじみがやってきた。
「久しぶり。でも、すぐに分かったわ」
タクシーで行く?それとも歩く?
歩きたかった。理由は言葉を交わさなくても、2人の間で一致していた。「できれば到着したくない」
途中、甲子園球場のバックネット裏を通った。そういえば18年前の夏、三塁アルプスで声をかけられた。「翔ちゃん、頑張って優勝してや!」。当時を思い出して、甲子園球場をバックに記念撮影してみた。「翔太、立って。私、周りの人を写さずに写真を撮るの得意なの」。確かに、タイミングを逃さなかった。うまい。
「このままお互い帰ろっか?」「甲子園に来たと思えば、楽しいやん」とか言いながら、近況を話しつつ、少しずつ目的地へ。最後の角を曲がろうとしたとき、その先にある人だかりを見た幼なじみが「ここにいたい」と言った。現実を全く受け入れられない。東京から車で駆けつけている姉を待つことにした。
できることなら、姉も合流しなければいいのに。「あそこのコストコで買い物してるうちに満足して、そのまま車で東京に帰らないかな」「駐車場が混んでて停められなかったらいいのに」なんて思ったりもした。
姉、合流。とうに日は落ちていた。「すき家で飯食って帰る?」目的地に近すぎる。「びっくりドンキーてバンバーグ食べる?」いやいや、逆方向。もうここまで来たら、歩いて会場に入るしかない。「○○家、受付←」と書かれた案内の、矢印の方向には、目を向けられなかった。
勇気を振り絞りあって中に入ると、祭壇にあったカメラ目線の写真は、いつもの笑顔で、こっちを見つめていた。違和感は全くなかった。そうだね、彼の笑った顔しか見たことがないね。
実際の顔を見る前に、37年間に収められたアルバムをぺらぺらと1人でめくっていた。幼稚園、小学校、高校、大学と野球のシーンばっかり。「思春期は、こんなに写真をたくさん撮らせてもらえないものよ」と姉から言われ、確かにそうだなと思った。あいつに反抗期は存在したのだろうか。
顔を見た。何度も言う通り、現実を全く受け入れられない。
幼稚園の頃から知っている彼のお母さんに、あいさつをした。やっぱり現実を全く受け入れられない。
「寄せ書きを書いてください」と促された。現実を全く……。
姉も、幼なじみも、あの場では泣いていた。でも、自分は泣いてしまうと、彼に負けた気がするから、泣かなかった。その分、冗談ばっかり言いふらしていた。「こうでもせんと、みんな集まってくれへんやん、とか思ってるよね」「俺が泣いてたら、あっちの世界でたぶん笑ってるわ」
会場を離れたら、折に触れて、思い出すたびに泣いてる。気を紛らすためにも仕事しまくる年末、ふと落ち着いたときに思い出す。仙台出張中から、心配してくれてる姉からの連絡が増えてるけど、決意は固まってる。「あいつの分まで」と言うと白々しいし、笑われそうだから言わない。形はどうあれ、まあ。生きる。
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