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MTGにおけるオートメーションとミスの関連性について

mtg30thに寄せて
30歳おめでとう

1 ミスをするということ

最近、何かミスをした記憶はないだろうか。そして、これまでに人が何故ミスをするのか考えたことがあるだろうか。どうしたらミスをなくすことができるか検討したことはあるだろうか。
仕事で作る書類の記載間違いや、車を運転している時の誤操作、そしてもちろんMTGをプレイしている時のミスなど、ミス自体にも種類がある。それぞれ、伝達ミス、作業の漏れ、操作の間違いや適切でない選択など直接的な要因は違ってくる。そして、これらのミスを無くそうと考えた場合はそれぞれミスの種類に応じた対処方法が必要となる。
1つ具体的な事例を挙げてみよう。
最新鋭の飛行機の開発を行っている際に試験飛行で事故を起こしてしまった。飛行機の性能は高く、パイロットも何十年もの経験がある熟練のパイロットだった。事故の原因は、非常に初歩的なミスであり、通常では忘れ得ないような簡単で必要不可欠な操作を忘れてしまったことにあった。
試験運転という非常に注意力が発揮される場でありながら、どうして熟練のパイロットがそれほど簡単なミスをしてしまったのか。その原因は、最新鋭の飛行機に多数の機能を搭載したことにあった。最新の技術をふんだんに使用し、様々な機能を盛り込んだことによって必要な作業や思考が増大し、重要な操作に対する意識が薄れてしまったのだ。
この問題は操縦の際にやらなければならないことを書いたチェックリストを導入することで解決したというが、飛行機に限らずこういったミスは日常的に発生する。
それでは、歩き方を間違えたという人は聞いたことがあるだろうか。
舞台の上など緊張している時に両手両足が同時に動いてしまうなど歩き方がおかしくなるというのはマンガなどでよく描写される。実際にあのような状況になることがあるのかはわからない、というか少なくとも自分には経験がないし、見たこともない。モノに躓いて転倒することはあっても、平坦で場所で平凡な状況で歩き方を間違える人はいないだろう。
「移動する」という目的に対して、歩くという行為ではミスをすることがないのに、飛行機を運転するとミスをするようになる。
今回はここを起点にミスというものについて掘り下げていってみよう。

2 ミスの原因

前述したミスの原因は、端的に言えば“複雑さ”にある。
歩くという行為は非常に簡単で、間違い得ない行為である。これに対し、飛行機の運転には多数の操作が発生する。
飛行機より比較的身近なものとして車で例えよう。アクセル・ブレーキ・ハンドルの操作、前後左右の確認、道路標識の理解と認識、道程の想起など、考えるべきことが非常に多い。歩くだけであれば人間の脳は何の問題もなく処理をすることができるが、運転となると煩雑になり、アクセルとブレーキを踏み間違えたり、サイドブレーキを下すのを忘れたり、下車するのに電気を消し忘れたりと、ある程度の期間運転を継続していて1つの間違いも起こさないということはあり得ないだろう。
脳の記憶能力は140年分あるという話を聞いたことがあるだろうか。これには諸説あるためこの数字を鵜呑みにすることはできないが、少なくとも脳の記憶容量は非常に大きい。数ヶ月や数年分の記憶でその容量が溢れたりはしない。
それに対して、脳の処理能力はそれほど大きくない。1つのことに集中していれば他のことができなくなるくらいに同時処理能力は低い。程度に個人差はあるが、同時に進行する作業が多くなればなるほど処理能力を超えてミスが発生しやすくなる。これは誰もが体感しているだろう。

3 ミスをしないために

ミスした後にどのように対応するかというのも一つ議題にはなると思うが、“けれどもそれは別の物語 いつかまた別の時に話すことにしよう”。今回の主題はミスをしないことにある。
前述のとおり、脳が処理しなければならない作業量が増えるとミスが起こりやすくなるのであれば、作業量を減らすことでミスを予防することができるということになる。同じ目的の似たような行動であっても、より脳の作業量が少ない方がミスは起こりにくくなる。
北海道の長い一本道で道を間違えることはないが、複雑怪奇な新宿駅では迷わない方が難しいということを考えれば多くの人はイメージできるのではないだろうか。歩いて目的地にたどり着くという身体的には同一の行為においても、脳に与える作業は単純かつ明確であればミスを減らすことに繋がる。
先ほど飛行機の例に出てきたチェックリストの導入というのも、脳の作業量の減少に役立てることができる。飛行機の運転のためにやらなければいけない作業を記憶し、必要に応じて自分の脳内のデータベースにアクセスしながら漏らさずに1つ1つ潰していくというのは脳にとって大きな作業である。それをチェックリストにすることで、深く思考を要せずに書いてあることを淡々とこなしていくだけで操作できるのであれば脳の負担はかなり軽減できる筈だ。
そして、脳の作業を減らすことができれば、確実にやらなければならない作業を忘れにくくなるだけでなく、その他の不測の危険についても注意を払う余裕ができるだろう。

3.5 閑話:チェックとミスの関係性について

3~4年前に話題になったが、トリプルチェックは効果が薄いという論文があるらしい。中身をしっかりと読んだことはないが。
前述した飛行機の例の場合は時間が限られるので難しいが、重要書類等は1人でなく複数人での確認を行うのが一般的だと思う。だが、人数が多くなればなるほど良いというものではない。その論文によればダブルチェックが最もミスの発見率が高く、トリプルチェックはダブルチェックよりもミスに気付くことができない確率が上がるという。
仕事等において、書類上のミスが発生した際にチェック体制の強化を行うのはよくある話だ。誤字や誤変換に気付くことができなかった組織に対して書類のチェックという仕事を増やす。そう、まるで懲罰の様に。
チェックの人数を多くすれば1人当たりの脳の作業量は減らすことができる筈なのに、ただ人数を増やすだけでは逆効果になるのは何故か。脳の作業量を減らしてミスが減るというのは、前提として脳の処理能力が同じであるという必要がある。そして、脳の処理能力を発揮するには十分な注意がその対象に向いていなければならない。
実際に目の前で複雑な作業をするのを数人でチェックする中の1人だとして、その中で発生した小さなミスを指摘することができるだろうか。そもそも、それを見ている人が何人かいるというその状況下で目の前の作業に注意を向け続けることができるだろうか。「自分が見なくても誰かが見ている」という無意識が働き、その注意力はほとんど機能しないのではないだろうか。気付いたとしてその場で声を上げて指摘する人がいるだろうか。少なくとも、100人という集団の中で2人の時と同じように意識し、行動できる人はいないだろう。
組織的な管理について考える場合は、こういった個々の能力を引き出す方法は重要になるが、今回はあくまでMTGに関する考察なので深掘りはしないでおこう。

4 楽をするということ

閑話休題。
脳の作業量を減らすということは、言い替えれば楽をするということになる。いかに楽をして目的を達成するかを考えること。事前に準備等の手間が必要になっても、総合的に見て作業量を減らすことができればそれで良い。
日常生活で例えると、外出する前に毎回のように鍵や定期券、財布などの必要な物を探す所から始める人はいるのではないだろうか。駅や職場についてから財布や定期券がないと気付いて取りに戻るということもあるだろう。毎朝、起きてから朝食を済ませ、顔を洗って、荷物は財布にスマホ、定期券、鍵、えーと、今日の会議の資料は?などと、その都度考えるのでは脳の容量を無駄遣いしている。
そんな人は、自分の生活環境にひと手間加えて毎日必ず持ちだす物を置く入れ物を1つ作ってみたらどうだろうか。帰宅後にその場所に置くように習慣付けることができれば、忘れ物は劇的に減少し、朝の時間にも余裕ができるだろう。
入れ物を準備して設置することに費やした時間や労力よりも大きな結果が得られるに違いない。
毎日発生する3の手間に対して、100の手間をかけて1に減らすことができれば、たった50日で最初にかけた100の手間を超える楽が手に入ることになる。これはあくまで一例に過ぎないが、楽をするための手間は怠ってはいけない。

5 簡単の定義

ここで一度話をひっくり返すが、歩くという行為は本当に簡単な行為なのだろうか。
人体における効率的な移動を目的とした動作としてこれ以上に簡素化することはできないように見えるが、脳の容量を全く使わないというわけではない。歩きながらスマホでLINEを返すより立ち止まって返す方が早い筈だ。
身体を前方に○度傾斜させて重心を前方に○○cm移動させるのと同時に腹斜筋・腹直筋を収縮させて右足を○○度屈伸させた状態で前方に膝から突き出す。重心をさらに前方に移動させながら、当初の位置より○○cm前方に、足を踵から地面に着地させてそこに重心を移動する。この際、突き出した足と逆の手を前方に出し、逆の手を後方に引く。併せて腰も約○○度回転し・・・(以下略
細かく分解すれば歩くという行為も非常に複雑な動作ではないだろうか。ただ、こんなことを言語的に考えながら歩いている人はいない。
そもそも歩くという行為が簡単なものであるなら、人がその肉体で成し得ないこと(空を飛ぶ=飛行機)を実現するような発明が生まれるよりも前に、歩くという動作を完璧に模倣する機械が発明されるのではないだろうか。少なくとも人間と同じように歩くことができる機械は現時点で開発されていない。(※2023年現在、ロボットが歩くことはできてもぎこちない動きしかできない)

6 反復の効果

では、人間がこの歩くという複雑な行為をほとんど考えずに間違うことなく完璧にこなすことができるのは何故か。
人は生まれた時から歩くことができるわけではない。生まれて数十分ですぐに活動できる野生動物に対して、人間が歩くことができるようになるのは生後12ヶ月頃。大人と同じように活発に動き回ることができるようになるのは何年も先の話だ。
最初は間違えるどころか歩くことすらできていない。歩くという行動を間違えなくなるのは、何年も何年も同じ行動を繰り返しているからである。つまり、反復練習による賜物である。
毎日道を歩くのと同様に、プロ野球選手が難しい打球を難なく捕球するのも、プロゲーマーがコンマ数秒のコンボを完璧につなげるのも、同じ行動を何度も繰り返した結果である。何度も何度も繰り返すことでその行動が一つのルーティーンとして構築され、最終的に意識的に脳をほとんど活動させる必要なく無意識のうちに体が動くようになる。
キャッチボールの50km/h程度の簡単なボールすら捕球できない人が、同様の行動を繰り返すうちに、100km/hのボールを捕球できるようになり、バットで打った不規則な球の動きを追えるようになり、ショートバウンドへの対応を覚え、イレギュラーバウンドにも反応できるようになっていく。
同じ行動を繰り返すことによって、通常であればイレギュラーに見えるバウンドのボールですら、考える必要なく想定内(レギュラー)として体が反応することができるようになる。そして、守備の名手としてプロ野球の歴史に名を遺す選手になる。
これが反復練習の効果であり、練習によって獲得すべき“自動化”(Automation)という能力だ。

7 ゲームにおける自動化

ここまで既に数千字書いているがMTGの話がほとんど出てきていなくて自分で驚愕する。別にビジネス本とか自己啓発本を書いているわけではない。これはMTG、特にエターナル環境を深掘りしている人間の考察記事であり、ここからが本題だ。・・・たぶん。
長くなったのでここまで書いてきた内容を要約しよう。
(1)ミスは脳の負担が大きいときに発生しやすい。
(2)反復練習により行動は自動化できる。
(3)高度に自動化された行動は脳の作業量が少ない。
そして、ある程度一般化できる行動であれば反復することで自動化することができる。他の卓上ゲームで例えるのであれば、将棋の定跡(囲碁なら定石)はこれに近い。繰り返し発生する特定の状況下であれば、その場で自ら思考するのではなく先人が自動化し体系化した定跡をなぞることで最適な選択ができ、思考の簡略化ができる。ほとんどの場合はその場で自ら導き出せる範囲の選択よりも適切な手を選択することができる筈だ。また、定跡だけでなく、自らの研究の結果やそれにより体得した勝負勘もこの延長線上にあると言えるだろう。
これに対してMTGは非常に複雑なゲームであり特定の状況を正確に反復するということが難い。とある研究によると「現実に存在するゲームの中で最も複雑なゲームのひとつである」ともされている。MTGほど複雑で、なおかつ確率が進行に関わるゲームとなると自動化できる部分は少なくなる。

8 イレギュラーというレギュラー

MTGプレイヤーなら誰しも「鳥は見たら焼け」という言葉は聞いたことがあるだろう。MTGにおける定跡を格言として残したものだ。マナクリーチャーを放置すると、盤面の展開速度で負けて火力呪文で処理できない状況に陥る可能性が高いことから、それ自体は攻撃能力を持たなくても除去しなければ不利になるということを教えてくれている。
通常は無視したくなるような貧弱なクリーチャーを除去で対処するのは、この格言を知らなければ難しいだろう。単一のゲーム中にその後の展開を予測してこの選択ができる人はほとんどいない筈だ。これは、数多くの反復練習の末に最適化された行動として導き出された定跡だろう。
MTGのような運の要素が関わるゲームでは、全く同じ状況を作り出して繰り返し練習することが困難であり、今まで話してきたような自動化を獲得することが難しい。前述した「焼き鳥」の様にいくつか有名なものはあるが、確率の変動だけでなくカードプールやメタゲームの変化にも影響されるので、定跡として確立されることが少ない。もちろん、チェックリストを作って脳の作業量を減らす事なんてできない。
例えるなら、毎日形状が変化するデコボコのグラウンドで転がるボールを捕球する練習をしているようなものだ。捕球技術自体は少しずつ上達するかもしれないが、軌道が複雑すぎてどんなに練習してもバウンドを予測して確実に捕球することができるようにならない。
完全ではないからこその面白さや奥深さがそこにあるともいえるのだが。

9 反復とMTG

複雑で定跡を確立し難い状況でも、反復練習に価値がないということではない。先ほどの例で言えば、イレギュラーバウンドの予測はできなくても、イレギュラーした時に対応しやすい体制やグラブ捌きは身に付けることができる。
同様に、MTGでも研究や練習の蓄積には意味がある。“土地を置く“というような単純な判断であれば同じ状況が繰り返し発生するし、似たような過去の経験を参照できる場面というのは複雑な選択でも起こり得る。
攻防の切り替え判断、マリガンの基準、コンボデッキの始動タイミングなど、全く同じ状況に遭遇することはなくてもある程度近しい状況を反復して経験して蓄積が可能である。
そうして蓄積された経験から、ある程度不規則なゲーム内の場面であっても過去の経験に基づいて選択することができるようになり、判断に思考を割く必要がなくなってくる。
MTGにおける自動化とは“完全な解決策や回答を構築する”ものではなく“今現在考える必要があることに適切な能力を割いて思考する”能力を身に付けることである。
もう少し具体的に言うと・・・
ゲーム中のある一場面において思考すべき必要な情報は無数にある。自分のデッキへの理解、相手のデッキへの理解、現在の状況、取り得る選択肢、お互いのゲームプランなど多数の情報の中から、必要な情報を選択して思考し、行動しなければならない。それは複雑ではあるが、歩くことと同じように何度も繰り返していると思考が最適化され、深く考えることなく同じような行動を繰り返すことができるようになる。
一見して複雑な状況や盤面でも、反復練習により思考を簡略化できると、今考えるべきことや判断しなければならない要点が浮かび上がってくる。
こうして今考えるべき情報と無視すべき情報を無意識下で選別することができるようになると脳の作業に余裕ができ、この余裕を必要な箇所への深い思考に繋げたり、ミスを減らすための慎重な確認に充当したりすることで、より高いレベルのプレイングに到達するのである。

10 練習の裏切り

練習には必ず質と量が求められ、練習の成果は質と量の乗数である。
プラスの練習であれば回数を重ねることで上達できるが、どんなに回数を重ねても質がマイナスであれば成長どころか退化してしまう。
間違った練習を続けてはいけないが、プラスの練習を続けたとしても成長というのは、数日や数週間で実感できるものではない。1つ1つの練習は、富士山に上からスコップで砂をかけているようなものだ。山頂が3777mに到達するためには長い年月が必要になる。それどころか風雨によって削られる速度の方が早いかもしれない。正しく量と質を兼ね揃えた方法で回数を重ねなければならない。
1回1回はほとんど何も起こさないような行動であっても、どんなに薄い積み重ねであろうとも、それ蓄積するといつか目に見える成果になる。洞穴の中で水滴が長い年月をかけて岩を削っていくように、途方もない回数の反復練習は自分自身に積み重ねられていく。
眼前の成果を見るのではなく、自分が何をどれだけ重ねてきたかを知り、自身の見えないほどのわずかな成長に悦びを感じられるようになることが上達への最短ルートになる。

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