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構造主義とかいう概念。

内田樹の『寝ながら学べる構造主義』という本を読んだ。当たり前だが、寝ながら学べるほど平易には書かれてなかった。それでも大分わかりやすくは書かれてはいると思いますが、思想とか哲学に少なからず興味あるひとは読んで損はないと思います。意味がわからない単語が頻出するので、ちょっと怠いんですが。。

さて、構造主義って一体全体何なの?って話なんですが作者が短く紹介してくれてるので、引用してみますね。

私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、わたしたちは自分がおもっているほど自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私達は、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。

寝ながら学べる構造主義 P.25

ものすごく上を自分なりに簡単に言い直すと、社会と「無関係」に生きることができる人間はいません。どんな人間も社会の構造の中に組み込まれて生きてる以上、自由に振舞っているようで、完全に自由に振舞うことはできません。その構造がどうなってるかを深掘りし言明化するのが『構造主義』と考えればいいです。

書いてて思いつきましたが、Youtubeは良い例かもしれません。Youtubeは、今まさに自分が見たかった動画を見るというより、おすすめで上がってきた動画を消費し見たくもない広告を構造上無理やり視聴させられてるので、これも構造主義に当てはまると思います。意志って一体何なんでしょうね?これも其のうち考えたり調べてみたいテーマです。

次に、本書の構成を簡単に説明してみます。「6章」構成になっており、はじめに、構造主義の土台を作ったマルクス、フロイト、ニーチェの思想を紹介してます。2章で構造主義の始祖であるソシュールの一般言語学に触れ、四銃士のフーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカンの思想に触れて終わりという構成です。

この7人を一つ一つ触れてくと大幅に長くなってしまうので、自分が一番面白く感じたバルトの記号学が興味深かったので簡略に紹介してこの記事を締めようと思います。内田さん曰く、バルトの記号学は「エクリチュール」「作者の死」さえわかれば、あとは類推できるとのことなので、この二つを自分なりに簡略に要約していきます。

どちらも聞きなじみがないですが、「エクリチュール」とは方言であり、業界用語と考えればいいです。例えば、同じ日本に住んでいて同じ日本語を使っていても関東と関西ではイントネーションや語尾の使い方は違いますし、人との距離の詰め方は違います。また、職場の人間と接する時と家族と話す時では、話し方が変わらないという人はまずいないでしょう。つまり「エクリチュール」というのは、構造的にその場に合った言葉遣いの選択です。
言語というのは、文法の規則、話者の好む話し方だけでなく外部に合わせた言葉遣いも含めて言語というのがバルトの指摘だったようです。

「作者の死」というのも、わかりにくい概念なのですが、当然ながら作者が本当に死んだわけではありません。作者という定義が生まれ変わったと考えるとしっくり来ると思います。作者というと、作品にメッセージがあり、作品に自分の思いを代弁してもらい、無から有を作り出した人というのが近代までの通説だったようです。しかしながら、作者は必ずしも言いたいことがあって作品を創ってる訳ではないというのが知られるようになり、むしろ言う気のなかったことが作品になってるということが知られるようになり、作品(テクスト)とは読者が誕生する代わりに作者が死に命を繋ぐことにより、作品が延命することにあると考えたようです。

これは面白い指摘だと思いました。ものすごく先見の明があります。これは個人的な感想ですが、おもしろい作品というのは真似したくなるものです、ギャグにしろ、アニメにしろですがネットに溢れかえるミームや、やってみたなんかもその典型だと思います。良い作品というのは、たくさんの人に作品が行きわたり真似されることなのかもしれません。

さて、長々書いてきましたが最近では○○主義や現代思想いわゆる、論壇っていうんですかね?そういった勢力はまるで感じなくなりましたが(というか自分は感じたことのない世代)物事を深く考えたり視野を広げるという意味では読んでみるのも悪くないと自分は思います。まあ、ずっとは読んでられませんが、興味があるひとは新書から読むのは手だと思います。それでは、失礼します。


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