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発言の重要性を考える(自作小論-思考途中)

「“”手に“”論文を書く」人、“勝小”です。
(当noteの前提・諸注意等については、こちらの投稿をご参照ください。)

自作小論文の2020年8月編です。

今回は以下の流れで小論文問題と向き合っていく予定です。
・問題編:問題の紹介+周辺知識の確認(情報の整理)
・解答編:実際に解答文を作成する(答案用紙のようなもの)
・補講編:問題から派生した考察、蛇足など(試験後の雑談)

が、今回は予定を変更して…解答編の前段階「思考途中」編となります。解答編の前の"柔らかい"補講編といった位置づけです。
(未だ解答作成に至らず、思考の整理の過程を書き散らかしています。)

【問題】

「発言した者」と「発言した内容」どちらが重要か
という議論について、あなたの考えを述べなさい。
(勝小自作)

解答方針

まだ確定ではありませんが、
『そもそも、この議論が必要なのか?』
という視点で解答をまとめるかもしれません。

と、言うのも…

「発言をした者」が誰であるか、も
「発言した内容」が何であるか、も
それぞれが独立して存在するものではないという境地にあるからです。

誰が vs 何を 問題の背景にある事象

事の発端にある事例のひとつに、
「発言者の内容が、周囲が期待するものから乖離した時」
に何かと問題になる。
が、挙げられるのではないでしょうか。

例えば、
・政治家の立場に相応しくないと判断された発言
・著名人の政治発言
・特定分野に知見がある前提で発言していた者の経歴が偽りだった
などです。
※これらは「問題があるのではないか?」という提起がされがち。という意味で列挙したものです。従って、上記のような発言が問題であると判断しているわけではありません。

議論の余地なく「問題あり」とされるような事象は、
・(発言内容に対して)知見があると思われた人の発言内容が虚偽だった
・発言の影響力が高い人の発言内容が、大衆に多大な混乱を与えるようなものだった
ようなレベルを想定しています。

ひとつ上の「問題提起されがち」なものは、上記の実害が"あるかもしれない"という視点で問題意識を持たれる方が少なからずいるのだとも思います。

発言に制約を課すべき?

一方で、一般に「知見」や「影響力」に乏しいとされる人は、実社会に与える影響は軽微だと判断されるからなのか、大きく問題になるケースは多くはないかもしれません。

そうすると、知見がある(と思われる)人や影響力が高い(と思われる)人は、発言の影響力等を考慮すると、そうではない(影響が軽微な)人とは異なるレベルでの発言の制約が課せられている…かもしれません?
(明文化、ルール化等はされていませんが、その後の"炎上"等を誘引するのであれば、実質的な制約がある?)

これは正しい状況なのでしょうか。自由な発言をする権利(表現の自由)的なものに抵触しそうだ、という問題提起もできるかもしれません。

受け手の問題?

発言者は"●●"という意図をもって発言をしたが、受け手が勝手に"▲▲"と解釈をしたために炎上するケースや、「発言者はこういう趣旨の発言はしない」と勝手に期待したために、その期待に反する言動に嫌悪感を抱くこともありそうです。

もちろん、
・政治家 ⇒ クリーンなイメージをアピールする
・タレント等 ⇒ 視聴者等に抱かせるイメージが商売道具のひとつ
・専門家 ⇒ 特定分野に対する知見がある(はず)
のように、受け手にある程度のイメージ(≒期待値)を意図的に植え付けていることも当然あることなので、受け手が"勝手に"ということは少し極端な例かもしれません。

その他の影響力

上記の他にも、
・子供にとっての親
・生徒にとっての先生
・SNS上で影響力の高い、いわゆる"インフルエンサー"
と言った、限られた空間内で大きな影響力を与える存在も、同様のことが言える可能性があるため、政治家や有名人に限った話でもないのだと思います。

このように思考を発散させてみたところ、簡潔に収束することなくここに至った次第です。多少時間がかかるかもしれませんが、解答という形にはこだわりたいので、もうしばらくお時間いただければと思います。

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