見出し画像

首都圏から国鉄型通勤列車が急速にいなくなった理由

首都圏で国鉄民営化直後活躍していた車両は201系、103系、205系、113系、115系、211系などの中距離路線用近郊型電車が活躍していました。民営化後209系を発端とする新しい通勤電車の導入も急速に加速。2000年以降に導入されたE231系導入以降さらに加速します。これによって首都圏の国鉄型車両は風前の灯になってしまいました。

103系


E231系


首都圏で長きに渡り1線で活躍していた車両は国鉄185系特急車でした。この車両は2021年3月12日まで踊り子、湘南ライナーなどで活躍した首都圏の中心まで乗り入れた国鉄最後の車両でした。この車両は昭和、平成、令和と3つの時代を毎日走りました。いまは定期列車から退いてしまいましたが、わずかな残党が臨時列車として活躍中です。

185系

次にもう首都圏の国鉄車両で乗車可能な定期列車はあるのでしょうか。まず中央線の立川駅や高尾駅に乗り入れる長野エリアで活躍する211系、神奈川県内の鶴見線、南部支線の尻手から浜川崎間で運用される205系です。
この路線でしか国鉄型の定期列車はこの路線でしか活躍していません。置き換えの話もないからいまのところ安泰とおもわれます。そのほか185系以外にも観光列車として乗れる国鉄型車両がいます。それはリゾートやまどり、華というジョイフルトレインです。485系特急車の機器類を寄せ集めたものに新しく作った車体を載せて作ったものです。ですが最後まで残っていた485系リゾートやまどり、華も年内に引退する旨が突如発表され485系は完全消滅となります。


485系

た12系客車や戦前から戦後初期に製造された旧型客車も幾つか残っています。こちらも普段、できませんが、蒸気機関車、他国鉄機関車牽引のもとイベント列車などで乗車できます。

首都圏から国鉄型が急速に消えた訳

最新車両の導入で減っていると話しました。ほかの理由は上野東京ラインなど新しい路線での走行が難しいなどの理由もあります。

103系の場合

103系は1963年に登場した車両で首都圏、関西を中心に通勤輸送で活躍しました。製造数は3447両でとても多い数でした。jr発足した1987年でも3436両ありました。ですがこの時には登場から35年経過していて首都圏で運用される103系は安全上のため老朽取り替えは急務でした。このため山手線の103系は1988年6月に引退。205系に置き換えられましたした。jr東日本は103系に対して延命工事を行いつつ209系などの低コスト量産可能な車両を導入。103系の取り換え体制整えました。各路線故障があったものの急いで置き換える見込みはありませんでした。ですが総武線各駅停車の運用に入っていた103系の配電盤が火を吹いて乗客に怪我を負わせてしまった故障事故です。それが影響して1998年209系500番台が導入されました。このころ他に201系、ごくわずかな205系も活躍していましたが、209系、E231系に統一されました。

E233系


手前E233系 奥E231系


もっと詳しく知りたい人はこちらを
実は重大な理由が…首都圏の国鉄型電車、急速に引退が進んだ理由は何?背景には○○が…?【JR東日本/日本国有鉄道/国鉄型電車】 - YouTube









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?