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第2の極意 第一印象の極意  和顔施(わげんせ)


本来はにこやかな笑顔でいると、その笑顔にひきつけられるように人は寄ってきます。

笑顔には笑顔で返す、好意の返報性があります。しかし、慈眼施で触れたように、葬儀の現場では歯を見せるようなフルスマイルはできません。

唇を閉じて口角を優しくあげる「受容の微笑み」が必要です。
一番いけないのは、悲しみを助長するような悲しい顔、寂しい顔、そして、無表情はいけません。

私は従業員を採用する場合、寂しい顔の人は採用しません。
相手の痛み悲しみを自分のものとして捉える心慮施は必要ですが、ご遺族を少し元気づけられる、一緒にいると気持ちが前に向くような人を採用しております。
結果的には、そうした方は、ご遺族様からもよい評価を得られます。
悲しみの中にあっても、人は優しい笑顔を求めているのです。


マナーの定義

笑顔の話は置いておいて、マナーの話をさせて頂きます。
マナーの語源は、mani=手という意味で、手で相手に色々持て成すことから来ています。皆さんご存じのマニフェストも語源は同義で、手で掴まれたものから、はっきりしたモノ、公約となっています。

さて、この本来の語源は無視し、私流の解釈をお伝えします。

まず、Runにnerをつけると、走る人ですね。
では、Mannerは? Man=人にnerを付けたと考え、「人としての人」つまり「人として当然の振舞いが出来る人」がマナーの適った人と言えるのではないでしょうか。
何も特別な事振舞いでなく、当然の振舞い、この「当然の振舞い」という人として当たり前の事が皆できれば、世の中ぎくしゃくしなくなる事でしょう。


先日目にした御教歌に「事の葉と身の不行儀をたしなめば それで世間の常の人なり」がありました。言葉の使い方と行儀の悪さを直せば、それで世間でいう常識のある人になるってことです。まさしく私が言わんとしていることと同じでビックリしました。

  
「人は見た目が9割」という新書(竹内一郎,2004)ありましたが、言語表現と非言語表現が対人に与える影響は、3対7とパフォーマンス学の第一人者佐藤綾子先生が実験データより割り出しております。
カリフォルニア大学の心理学者マーレビアンの「好意の総計」では、言葉の意味7%、聴覚情報(周辺言語)38%、視覚情報55%となっておりますが、ここでの実験はモニター画面に顔を映し出し、発した言葉は、[thank you][maybe][Terrible]の3つでした。

例えば「ありがとうございます」という言葉を発したとしても、心の中で感謝の気持ちがなければ、それは非言語に現れてしまいます。
語気が強くなったり、視線を合わせず言っていたり、おじぎもぴょこんと米つきバッタのようであっては、相手は言葉でなくあなたの態度と言われる非言語に引っ張られ、「ああ、こいつ本心は感謝していないな」となってしまいます。
 古来日本では、○○道とよばれる武道でも華道でも茶道でも型、かたちを大切にしたのは、形が整った所に心が宿ると考えたからなのでしょう。逆説的になってしまいましたが、形を整えて気持ちを入れる、気持ちを入れて形を作る、どちらも真実だと思います。

さあ、話を和顔施に戻します。
マスクをしていると、和顔を伝えるのが難しくなります。笑顔ではありません。「受容の微笑み」と先の度述べましたが、「和顔」は柔らかな顔、穏やかな顔です。柔和、温和な顔といってもいいでしょう。また、「和」はお互いに相手を大切にし、協力し合う関係にあることを言います。聖徳太子が「和を持って尊し」とした「和」です。

昨年、マスクを着用して葬儀司会を始めた頃、会葬者を不快にしてしまったことがあります。

本来、ご遺族様は「家族葬」でお身内の方々だけの葬儀を想定しておりました。
しかし、田舎の葬儀です。お悔やみを聞きつけた方が会葬に訪れました。もちろん、その方々に列席していただき、葬儀を執り行うことになりました。

しかし、密状態にならないように、お席の移動を促したのです。

私は、その方が座っている席の傍らに立ち、「恐れ入りますが、ご移動ねがいますか」
と声を掛けました。

「えっ?」
と何を言っているのか聞こえないのか、私の方を怪訝な顔で観ました。

「申し訳ございません。お席のご移動を願いたいのですが。こちらはご親族の方のお席でございますので」
と伝えると

「そんな怖い顔して言わなくてもいいでしょ。移動するわよ」と怒ったように言い放たれてしまいました。

あ~、私、そんな怖い顔してた?!でも、マスクで見えないはずだけど。声が籠って聞こえづらいから、語気が強くなってしまったのかな。丁寧な言葉で伝えても、穏やかな表情からは程遠く、敏感に察知されてしまったのでした。
私は心の底で、「家族葬なのだから、ご焼香して帰ればいいのに」「コロナ禍なのだから、もっと考えてよ」などという気持ちがあり、それが表情に表れてしまったのでしょう。

私は大学院で「感情労働の研究」をしておりました。1983年にアメリカの社会学者ホックシールドが提唱した「肉体労働」「頭脳労働」に続く、第3の労働です。
そこには、「表層演技」と「深層演技」という2つの因子があり、本人の本心(感情)を無視し顧客の要求と組織の管理体制に合わせ、「表層演技」をする場合と、相手の立場を理解し相手の感情に自分も寄り添い言動する「深層演技」の場合です。

当時の論文を添付します。


人々の心の機微に触れる仕事だからこそ、もっともっと精進しなければ、私は御仏から何を教えてもらっているのだろう、と反省しきりでした。





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