【原作】第二回ショートショート落語『吹き流し』作・洛田二十日

 また何やら媼さん拾ってきたものだから、せいぜい襤褸(ぼろ)切れか何かだろうとみてみれば、どうにも襤褸切れか何かであった。少し角度を変えて眺めてなお襤褸切れであるからに、ここは媼さんに理由を訊ねなければならない。
 「かわいそうだったもので」。
 さて草履やら笠やらを編んでは門前町の市に売ることを生業に早四十年。正味、昨今において藁草履などてんではやらず、暮らし向きは悪くなるばかり。そんななか媼さんが襤褸切れにまで憐憫の情を示し、白濁した眼をきらり輝かせ「うちで面倒みてあげましょうよ」など平気で言ってきた。いよいよ媼さん、こんな暮らしに嫌気がさしたか、はたまた妙な瘴気にやられたかわからぬが、下手に刺激せぬよう、汚いから近くの川で洗ってくるようだけ伝えて、自分だけ土間へと帰り、売れ残った草鞋に顔を埋め、しんしんと泣いた。

 綺麗に洗われたそれは襤褸切れと呼ぶには色合い鮮やかにして、生地も薄いが随分と上等に見える。問題なのはその形状である。どうにも描写されることを厭うかのようで、面妖。色の違う幾条もの布を筒状に縫合し合わせ、先端は円ら。反対側は中途より意図的に縫合してないのか、蛸足のごとく遊んでいる。

 そして、生きている。
 さっきまで襤褸切れか何かだったそれは今や、筒状の先端をパクパクとさせ、蛸足状の細布を内側に巻き込んでいる。
 「なんだ」「怯えているのですよ」「そういうことでなく」
 果たして怯えているその布の塊を私たちはみたことがあった。「あれだ」「ええ、端午の節句の」「鯉のぼりの、上の」「そうそう、あれ」「そうそうあれ」

 かくしてアレ子と名付けられた鯉のぼりのアレは媼さんによく懐いたようで、私が市より戻ってくれば出迎えた婆さんの足に巻きついて離れず、飯時も媼さんを中心に飛び回るものだから、獄彩色のひらひらが目の端にうるさく、囲炉裏の灰も舞う。無論、子供に縁のない私どもからすれば、可愛くないはずがない。
 
 ところが、アレ子は日に日に衰弱していった。一週間ほど前はあんなに鮮やかだった色味もすっかりくすみ、先端もほつれ、絡まり、発見したときと同じく襤褸切れ然としている。原因はわかっている。飯を食っていないのだ。
 「何を食べるというのでしょうか」
 媼さんの膝で丸まり、浅い呼吸を繰り返すアレ子。なんと不憫なことか。しかし、わからない。アレ子は一体何を食うのか。当然、私らが食うものには見向きもしない。水を与えても、ただ濡れるばかりで意味をなさない。

 重ねて厄介なのが野良の鯉のぼりたちである。匂いを嗅ぎつけてきたのか、鱗がまだ若く柔らかい鯉のぼりたちが東の空より飛翔してきては、媼さんの隙をついて縁側で丸まっているアレ子を拐おうと突進してくる。

 「おうこら野良鱗。弱ってるところを狙うたあ卑劣じゃねえか。そんな奴らにアレ子はやれん、帰れ帰れ季節外れめ!」
 
 ブンブン竹箒を振り回しながら、やっとのことで追い払う。そりゃあ私ら夫婦からしても鯉のぼりのアレであるアレ子を鯉のぼりに渡すこと事態、吝かではない。いつまでも、人間の世界で丸まっているわけにはいないだろう。しかし、どうせ引き渡すのであれば、健康になってから。どこに出しても恥ずかしくないアレとして、送り出してやりたいというのが親心ではないか。

 こうして春風に泳ぐ鯉どもを血塗れになりながら必死に追い払う日々の中、ふと見ればアレ子に変化が訪れる。わずかながら鮮やかさが戻っている。内出血みたいな青が、鮮やかな群青に。化膿した傷口のようだった緑が、若葉の緑色に。固まった血のようだった赤も、鮮血色に。さて媼さん、そろそろ私の手当てもしてくれないか。
 
 どうやら、アレ子は風を食らう。それも突風のような強烈なものではなく竹箒を振り回した時に生じるような微風こそ、彼女の離乳食に他ならない。

 「媼さん、鰯の焼ける良い匂いがするね」
 「もっと栄養のある風も食べさせなきゃと思いましてね」
 そう言って媼さんは七輪から立ち上る煙を手で扇ぎ、アレ子の口元より流し込む。さすがに噎せたようで、体を一度くの字におると、庇の上まで爆ぜるように飛んで、回って、私らも大いに笑った。回復したのは嬉しいが、お別れの時も、近いのだ。
 
 間も無く端午の節句。
 毎日、せっせと「栄養のある風」を平らげたおかげか、アレ子の体躯は伸びに伸び、遠目からすればちょっとした虹といったところ。つまりは「どこへ出しても恥ずかしくないアレ」へと立派に成長したのだ。

 なのに、なぜ鯉どもは迎えにこないのか。心当たりがあるとすれば私が懸命に鯉どもを追っ払ったことくらいだろうか。というか、完全にそのせいである。娘を思う気持ちが先走った結果、貰い手までも失ってしまったのだ。

 結局、端午の節句は何事もなく過ぎてしまった。心なしかアレ子は悲しそうに空を見上げることが増えていった。「すまぬ、すまぬ、アレ子」。涙はアレ子の赤に点と滲む。ふと頬を撫でる感触。見やればアレ子が触手で私の頬を拭っていた。これがかつて襤褸切れだったアレ子だろうか。嫋やかな触手のうねりは、優しさを覆い隠すほどに艶やかであった。

 あっという間に七夕を迎えようとしている。
 我ら夫婦を囲むようにしてあれ子は眠る。眠りながらも、時々顔を天に向けては悲しそうに鳴く、ように見える。私も天井穴より覗く星空を眺む。
 「お爺さん、しんしんしん泣きながら空を眺めて、どうしたのです?」
 「音がしていたとは思わなんだ。すまない。いや、アレ子が来年こそはちゃんと身請けされるよう、お星に祈っているんだ」
 「はあ。身請け。そうは言っても、アレ子はこのままではいけませんかねえ」
 「いや、媼さん。アレ子は人間じゃねえ。アレなんだ。アレならアレらしくアレを全うしねえといけない、媼さん、私らが今していることは、天に逆らっていることなんだ。」
 そうですか、と生返事だけし、媼さんも惚けた顔のまま夜空を眺めている。まるで今はじめて夜を知ったような顔で。何ゆえそんな顔ができるというのか。不意に月明かりが消え、闇が媼さんを、アレ子を、視界を、消す。
 
 「嘘だろ。天の裁きか?」
 気づけば月を背に、巨大な蛸のようなものが、宙空に浮いていた。色とりどりの触手を揺らしながら。一目でアレ子と同種とわかった。違うのは、鯉のぼりのアレであるアレ子は横向きであるのに対し、目の前に現れたのは縦向きであることくらいであろう。はて、私はこれをどこかで見たことがある。違う。鯉のぼりではない。もっと別の、そう、門前町で催された七夕祭りで、だ。巨大な笹に、今目の前にある同様のものが、吊るされているのを嘗て見たことがある。
 「アレ子、まあ」
 媼さんが驚嘆の声を上げる。アレ子が、横たえた体躯をゆっくりと持ち上げ、円形の口元を上にして、夜空へと浮上していく。
 
 私たちは、最初から間違えていた。アレ子は夜空を見上げていたのではない。夜空に帰ろうとしていたのだ。アレ子は本来、横向きではない。縦向きなのだ。そして、
 「お前は、鯉のぼりのアレじゃなくて、七夕のアレだったんだな」

 アレ子は迎えにきた七夕のアレと触手を絡め、ふわりふわり上昇していく。いよいよ、本当に別れの時がきたようだ。名残惜しそうなアレ子の触手が、私と媼さんの涙をふたたび拭い、やがて静かに、離れた。満月を湛えたアレ子の流れるような体躯は、息を飲むほどに美しい。私たちの娘は、どこへ出しても、恥ずかしいくない、アレへと成長した。
 「にしても、鯉のぼりのといい、七夕のといい、結局アレ子は、なんて名前なんでしょうね」
 さあ。媼さんの素朴な疑問をよそに、アレ子を夜風がそっと吹き流していく。

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