【原作】第二回ショートショート落語『先輩の風』作・田丸雅智

巷に初々しいスーツ姿が目立つ季節が訪れると、やたらと張り切る輩がいる。
先輩風を吹かせる者たちだ。
彼らは入社してきた新人に向かい、社会人とはかくあるべきと持論を説いたり、講釈を垂れ流したりする。傍から見ると痛々しい限りなのだが、右も左も分からない新人たちは、これが社会人かと圧倒される。
 ある大手の会社においてもそれは例外ではなく、新人に先輩風を吹かせる者たちが毎年必ず現れた。しかし、その会社の人間たちは世間のそれとは少し毛色が違っていて、特異な力を持っていた。新人に説教をはじめると、本当に彼らの周囲に風が立つのだ。そう、まさしく先輩風という名の風を社内に吹かせるのである。
「おっ、人事が警報を出してるよ。風速二十メートルだって」
 朝、出社してきた社員のひとりがメールを開いて口にした。
「わっ、ほんとだ」
 隣のデスクに座る社員がそれに答える。
「もうそんな季節かぁ……」
 この会社では入社式が終わり、数日ほどの新人研修が終わるころ、こんなふうに一部を除いた社員たちに警報が発せられる。そして被害に遭わぬよう、みな気を引き締める。その一部というのは言うまでもなく先輩風を吹かせる社員たちで、裏で風男と呼ばれる彼らは、人事部をはじめ全社員からしっかりマークされている。
風男たちは新人を見つけると意気揚々と近づいていき、こんなことを言う具合だ。
「おい新人。ここは学校じゃないんだぞっ。学生気分がまだまだ抜けてないんじゃないか? いいか、社会人ってのはだなぁ」
 その瞬間、風男の周囲にびゅうっと風が巻き起こる。目の前の新人が思わず後ずさりしようとも、風男はどこ吹く風で話しつづける。
「いや待て、こういうのは自分で考えなきゃ身に着かないもんなんだよなぁ。おい新人、社会人と学生の違いは何だか分かるか? 分からない? おいおい、分からないって言やぁ、誰かが答えを教えてくれるとでも思ってるのか? まったく、いつまでもお客様気分でいてもらっちゃあ困るんだよ。ここは現場という戦場なんだぞ?」
 風は強まり、新人のスーツの裾がはためきはじめる。髪が逆立ち、声も聞きとれなくなる。そんな中でも風男は一方的に説教する。
「まあ、せいぜい足だけは引っ張らないようにしてくれよな」
 風男は風をまとい、びゅうびゅうと周囲の書類を吹き飛ばしながら去っていく。その様子を遠巻きに見ながら、他の社員はほっと胸を撫でおろす。被害に遭わなくてよかったな、と。
人事から警報を受け取ると、社員たちはみな一様に風男から距離を取る。新人には申し訳ないが、巻き添えを食らうのだけはご免だからだ。
それでもときどき、被害に遭う社員は出てきてしまう。油断すると、不意に彼らと出くわしたりするのである。
 とある社員は、打合せを終えて会議室を出た瞬間に被害に遭った。扉の前で風男が新人に先輩風を吹かせていたのだ。社員が持っていた大事な資料は廊下に飛び散り、慌てて集めて回るハメになってしまった。
 また別の社員は社食でランチを前にしていたとき、突風にあおられた。隣の席に、新人を引き連れた風男が座っていたのだ。風男は新人に、こんなことを言っていた。
「今日はおれのおごりだから、好きなだけ食え。いつかおまえも一人前になったら下のやつにおごってやれよ。まあ、その前に仕事の基本を覚えるとこからだけどな」
 びゅうっと強風が直撃し、ミートスパゲティーの皿をひっくり返す。社員のシャツはソースにまみれ、一日中、気まずい思いをさせられた。
 一方で、会社側もやられているばかりではなかった。風の発生は防げなくとも、発生した風を利用することならできるだろう。そんな考えで導入されたのが風力発電だった。社内の至るところに屋内型の特注風車を設置して、風男の吹かせる風で発電するというわけだ。
 その試みは成功し、社はたくさんの電力を手に入れることができていた。風はときに、風速三十メートルもの暴風になることもあった。しかし、そんなときも風車は風を受け切って、せっせと電力へ変えてくれるのだった。
 風男は放っておいても自分から積極的に新人に歩み寄り、彼らが何かを発する前から一方的に話しだす。
「新人が稼ぐだなんて思いあがるなよぉ。いまはおれたちの稼いだ金で養ってもらってる立場なんだ。そのことを忘れるんじゃないぞ」
 びゅうびゅうと風が吹き、窓はガタガタ音を立てる。風車は勢いよく回りつづける。
「今年の新人はレベルが低いと社内で噂になってるぞ。去年のほうが、よっぽど優秀だったもんなぁ」
 びゅうびゅうびゅう。
 しかし、そんな状況もそう長くはつづかない。
 それというのが、新人たちもだんだん気がつきはじめるのだ。風男たちはただ先輩風を吹かせるだけで、そのじつ仕事はまったくできず、社内政治でも負け組なのだということに。そして新人は、次第に風男とのうまい距離の取り方、いなし方を覚えていって、別のまともな先輩を頼るようになるのである。
それに伴い社内に警報が出る頻度は減っていき、ゴールデンウイークを過ぎたころには警報自体も注意報へとランクが下がる。やがて社内からは風が消え去るわけなのだが、新人は例年そのころになると、まともな先輩にこんなことを尋ねるのが恒例行事のようになっている。
「あの、先輩……どうしてあの人たちはクビにならないんですか?」
「ああ、風男たちのこと?」
「はい……どう見てもサボっているようにしか見えないんですが……」
 その風男のうちのひとり、遠くに見える中年社員は、いままさに自分のデスクで暇そうにあくびをしていた。仕事をしている気配は皆無であり、事実、ときどき堂々と居眠りをしたりパソコンゲームに興じたりしている有様だった。
 新人は不思議そうに先輩に聞く。
「どうして会社は、あの人たちを見逃しているんでしょう……」
 先輩は苦笑しながら、それに答える。
「まあ、当然の疑問だろうね。たしかに周りに被害は出すし、ろくに仕事もしやしないし、困ったもんだよ。でも、みんな大目に見てるんだ」
なぜならば、と、先輩はつづけて言った。
「あの人たちが吹かせる風のおかげで、この季節は電気代が全部タダになるからねぇ」


ZINE『季節配達人』収録
https://tamarusha.official.ec/items/17769967

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