見出し画像

かけがえのない出会い(筆者:あおいみかん)

気が合う人との出会いは、奇跡としか言いようがない。

ものすごい競争を勝ち抜いてこの世に誕生し、そして、出会うことの意味を考えると、その天文学的な確率に頭がくらくらする。

そんな奇跡の出会いの中でも、“特に思い入れのある出会い”を、ぼくはこれまでに3回体験している(本当はもう一人いるのだが、それは今回は語らずにおくことにする)。

今回は、人との関わりをわずらわしいと感じるぼくが、“特に思い入れのある出会い”、言い換えるなら、“かけがえのない出会い”だと感じた三人と(プラス 四人)の出会いを綴った。

一人目

一度目の出会いは、ぼくが大学に進学し、新聞奨学生として新聞配達をしていた時だった。

小林くん。
彼は同い年だったが、正社員として新聞配達員をしていた。

彼とは、会ってすぐ意気投合した。
好きな音楽が一緒だったのが一番大きい。


Yngwie Malmsteen|THE SEVENTH SIGN
『THE SEVENTH SIGN』(Yngwie Malmsteen)

ぼくが弾けないYngwie Malmsteenイングヴェイ・マルムスティーン『NEVER DIE』のギターのフレーズをなんなく弾いて見せてくれた。


Yngwie Malmsteen Stratocaster®|スキャロップドフィンガーボード
Yngwie Malmsteen Stratocaster®

それに、小林くんの持っていたフェンダーのギターは、Yngwie Malmsteenイングヴェイ・マルムスティーンのそれと同じようにフレットを削り、スキャロップ加工を施してあった。
聞くと自分で削ったと言っていた。

ぼくは、一瞬で痺れてしまった。

彼の部屋には、ターキーというウイスキーがあり、ぼくらは、それを飲みながら、たわいのない話をした。
「必ずギターこれで有名になるから、その時は応援してくれよ」
彼はいつもギターを弾きながらそう言っていた。
「うん」
その頃のぼくは、彼が一流のギタリストになり、活躍することを全く疑っていなかった。

ぼくは、一年で新聞奨学生をやめてしまったので、彼とはそれ以来会っていない。

今彼は、どこで何をしているのだろうか。
もしかしたら、ぼくがその活躍を見落としているのではないかと思うこともあるが、彼の顔もいまではぼやけてしまって、はっきりと思い出せない。

あれから、もう少しで三十年が経とうとしている。
お互いに、あの頃より老けているのだから、どこかで出会っていても、もうわからないかもしれない。

二人目

2度目の出会いは、今の妻だ。

彼女とは、友人からの紹介で、ぼくが19歳の時に出会った。
ちょうど、新聞奨学生を辞め、地元に帰ってきてからのことだ。
彼女はそのとき17歳で、高校生だった。

決して美人ではない(ここだけの話にしてほしい)が、一緒にいてとても安心した。

間も無く僕たちは付き合うことになる。
ぼくにとっては、初めてできた彼女で、毎日がとても新鮮だった。
毎日が楽しくて仕方なかった。
何より、彼女ができたことが嬉しかった。

あれからもう、27年以上経つ(2024年6月現在)。
今となっては、彼女ほどぼくを理解してくれている人はいないと思う。
今後もそんな人に出会えるとは思えない。

三人目


タンクローリー

そして、3回目の出会い。
それは、大型タンクローリーの運転手をしていた時のことだ。
市原さん。
彼と一緒にいたのは、たった一週間だけ。
ぼくは、その会社を辞めることになっていて、仕事の引き継ぎをするために、一週間同行することになったのだ。

はじめて会った日、簡単な挨拶をすると、ぼくたちは大型トラックに乗り込んだ。

正直ぼくは、気が重かった。
そもそもコミュニケーションは苦手で、だからこそトラックドライバーをしていたと言ってもいいほどだった。

それが、見ず知らずの人と、今日から一週間、毎日一緒にいなければならない。
大型トラックとはいえ、運転席のある部屋は、それほど広いとは言えない。
その空間に見知らぬ誰かと一緒にいるということは、ぼくにとって苦痛でしかないと思われた。

でも、そんな心配は杞憂きゆうに終わった。
初日から、こんなに気が合う人がいるのかと感じた。

話が途切れることはなく、車内は常に楽しい雰囲気で満たされていた。

もちろん、相手が話好きで、話しかけてくるから話し続けるという状況は、今までもあった。
でも、あの時はそうじゃなかった。
自然と言葉が口からでてきた、何を話そうかと考える必要はなかった。

ぼくは、“話が途切れない”ことを体験したのは、後にも先にもおそらくその人たった一人だと思う。

彼とも、その一週間が終わってから一度も会っていない。
携帯の番号は聞いたが、こちらから連絡しようとは思わなかった。
あれは平成30年(2018年)のことだから、あれから6年ほど経っていることになる。

共鳴と和音

今になって思うと、一人目の小林くんと三人目の市原さんとの関係は"共鳴"だった。二人目、つまり妻との関係は"和音"なのだと感じる。

共鳴

共鳴とは、goo辞書によると、以下のように説明されていた。

振動体が、その固有振動数に等しい外部振動の刺激を受けると、振幅が増大する現象。振動数の等しい二つの音叉 (おんさ) の一方を鳴らせば、他方も激しく鳴りはじめるなど。

goo辞書

まさに、小林くんといた時、市原さんと過ごした時間は二人が共鳴していた。
話している二人は、それがどちらの発言かも曖昧になるほどに盛り上がった。
どちらがどちらかわからなくなる感覚は、後にも先にもその時以来感じたことはない。お互いの言葉がその空間の中ではね返り、混じり合い、かさなり合い、際限なく増幅していく。
それは、まさに“二つの音叉が共鳴する”かのようだった。

和音

和音とは、三和音のことで、その三和音は、根音こんおんと言われる最低音に3度上の音と5度上の音を積みかさねてできている。

三和音には明るい響きの長三和音(メジャー)と、少し暗い感じのする短三和音(マイナー)がある。

夫婦という存在は、お互いにピッタリとかさなることはないけれども、一緒にいて心地いい。それはまさに、三和音のような関係なのではないだろうか。

「夫婦」をそのまま「家族」に言い換えることもできる。

もちろん、家族の歴史は、良い時ばかりではない。
長三和音(メジャー)のように明るい笑い声が響くときもあれば、短和音(マイナー)のような暗いできごとに見舞われることもある。

つらいことがあったとしても、家族を家族たらしめているのは、それがまさに「和音」だからなのではないだろうか。

命のバトン

今、生きていることは、奇跡としか言いようがない。

母さんのコロッケ|喜多川泰
『母さんのコロッケ ─懸命に命をつなぐ、ひとつの家族の物語─ 』喜多川泰

君たちにはそれぞれ二人の親がいる。お父さんとお母さんだ。
その二人の親が世の中に生まれるためには四人のおじいちゃんおばあちゃんが必要だ。
そうやって数えていくと十代前の先祖は何人必要になるかわかるかい?二の十乗だから……そう、計算が早いね。一〇二四人必要ということになる。すごい……?驚くのはまだ早い。この計算で行くと三十代前だとご先祖さまは十億人を超えるんだ。僕たちが三十代さかのぼるとおよそ七百年ほど前になる。そう、鎌倉時代だね。
(中略)
その中の誰か一人が欠けても、僕たちはこの世に生まれなかったんだ。

『母さんのコロッケ ─懸命に命をつなぐ、ひとつの家族の物語─ 』喜多川泰

UNFPA(国連人口基金)の『世界人口白書2024』によるとこの世界の人口は現在、81億1900万人。
あまりにも大きな数字で、想像ができない。
ただ、今、この世界にはそれだけの人がいるということらしい。

その一人一人が、今存在するために、どれだけの人が、人知れずその命を必死で繋いできたのだろうか。そう思うと、ぼくたちも、必死で命のバトンを繋がなければならない。

出会いの奇跡

出会うということも、本当に奇跡としかいいようがない。
そして、出会うことについて考えることは、答えのない問いを目の前にすることに同義だ。

考えれば考えるほど、出会いは不思議で、奇跡的なことだと思い知らされる。

そんななか、とても素晴らしい出会いを体験してきた。
そう思うと、本当にぼくは幸せだ。

ぼくの出会い運は、この世で一番だと思う。
素晴らしい人とばかり出会う。
そんな出会い運を授けてくれた両親には、感謝してもしきれない。

思い起こせば、今まで、たくさんの人と出会ってきた。
出会った人たちには、本当に感謝している。

とりわけ、妻と子どもたちには。

妻へ……
「出会えてよかった。ありがとう!」

そして、

四人の子どもたちへ……
「パパとママのところに生まれてきてくれて、ありがとう!」

あおいみかん™︎
                                         あおいみかん™︎

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

今後の活動費に使わせていただきます!