『圭介』 〜1997年 顔が全然タイプじゃない男〜 vol.2 (ゲイ小説)
見た目はまったくタイプではなかった。
だけど、圭介という人は会話をしていてすごく楽しい人だった。
なにより頭の回転が速い。
頭の回転の速さなら僕も自信があったけど、圭介の方が段違いに速い。
しかも、少しでも言葉を濁したり取り繕ったりすると「本当はそうじゃなくて、こう思っているのでしょう?」と見抜かれる。
圭介は本当に頭が良かった。
さらに圭介の視点は、いつも圭介だけの視点だった。
世界中の誰にも見えていなくても、圭介だけには見えていることがこの世にはある、と確信できるような視点だった。
その視点から見えたものを研ぎ澄まされた知性と独特なワードセンスで、少し早口に僕に伝える。
時々、どもったりしながら。
だけど、ユーモアや自虐をエッセンスのように織り交ぜながら。
圭介の話が耳に入ってくるたびに、僕の知性やセンスもぐんぐんと磨かれていくような気がした。
つまり、圭介は天才だった。
僕の目にはそう思えた。
そんな人に出会うのは初めてだった。
だから、初めてバーで会った日の最後に
「連絡先の交換とか、してくれるわけないよね」
なんて少し寂しそうに言われ、僕は素直にメールアドレスを差し出した。
セックスとか。
恋愛とか。
キスのひとつすら笑っちゃうくらい考えられなかったけれど、会話ならば、ぜひまたしてみたいと思った。
2度目に会った時も居酒屋でおしゃべりをしただけだった。
その後、普段の生活の中で、「ああ、この件に関して圭介の見解を聞いてみたい」「この話題を振ったら面白いかもしれない」と思えるトピックが次々と頭に浮かんで3度目が楽しみになった。
3度目の時も居酒屋でおしゃべりし。
圭介は生ビールよりも瓶ビールを好んだ。
僕はカルピスサワーを片手に圭介との会話を楽しんだ。
4度目は新宿のビックカメラで圭介がエスプレッソマシンを買った。
圭介は荷物の多い人だった。
いつも両肩に大きなボストンバッグを抱えていた。
服とか、本とか、スポーツクラブ用の靴とか、文房具とか、保険証や印鑑の類まで。
全部いつでも使えるように持ち歩いていないと不安なのだ、と圭介は言った。
そういう風変わりなところも天才めいている、と思えた。
それにしても、ボストンバッグふたつに、エスプレッソマシンの入った大きな紙袋ひとつは、さすがに重いに違いない。
「その紙袋、持ちますよ」
「じゃあ、持ち手の片方を持ってくれるかな」
大きな紙袋を二人で持った。
二人の距離をあけると紙袋が引っ張られて破けてしまいそうだったから、圭介のそばを離れないように注意しながら歩いた。
信号待ちで脚を止めた時、
「このままホテルに連れ込んでしまおうっていう作戦なんだけど」
と、圭介が前を向いたままボソッと言った。
「そうしたら僕は逃げるから紙袋が破けてエスプレッソマシンが壊れます」
「それなら、それで、仕方ない」
だけど、僕はすんなり連れ込まれた。
新宿二丁目のラブホテルに来るのは久しぶりだった。
僕は赤いソファに、圭介は大きなベッドの上に座っておしゃべりをした。
なぜだかすごく恥ずかしくて、恥ずかしくて、僕は無意識のうちに履いていた靴下をくるくる織り込んだり、伸ばしたり、織り込んだり、伸ばしたり、を繰り返していた。
「なにやってんの?」
ベッドの上で圭介が笑った。
「え?ああ…いや…」
自分でも、何がこんなに恥ずかしいのかわからなかった。
キムスメ、でもあるまいし。
「おいで」
圭介が、保育園に我が子を迎えにきたお母さんみたいに大きく手を広げた。
僕は恥ずかしくて圭介と目も合わせられないまま、その腕の中に飛び込んだ。
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