「うまくなりたい」が心を締めつけませんように
おはこんばんのすけ!
今までスプラ関連のnote記事をけっこう書いてきた。てか、スプラの記事しか書いてないw
基本ベースとして、スプラをうまくなりたいって思ってる人に向けて書いてる記事がほとんどかも。
なんでうまくなりたい人のために記事を書いているのか?
みんなスプラのゲーム性が楽しくて 、スプラを始めたと思うんよ。そしてその楽しさをさらに楽しくするために、結果としてだんだん「うまくなりたいな」っていう願望がうまれてくるんだと思う。
スプラをしてると、大なり小なり上手くなりたいと思いつつ、スプラをプレーしてると思うんだわ。
だから、その「うまくなりたい」って人の助けに少しでもなればいいなって言うのが記事を書く出発点だったんよ。自分もめちゃめちゃ苦労してきたからね。
でも、「うまくなる」っていうのは、なかなか目に見えてわかりやすいものではない。ウデマエの数字が上がっていったり、XPが上がったりすると、見て分かる結果として「うまくなる」って感じやすい。
で、この「うまくなる」 = ウデマエの数字/XPを上げるっていうことに囚われすぎると、心が疲れちゃう時がある。
スプラのウデマエをあげたいから、スプラをめちゃめちゃ頑張って、頑張り続けて、でも数字としてのウデマエが上がらなかったとしたら…
自分自身にふがいなさを感じてしまう…
「うまくなりたい」という願望に重きを置きすぎた結果、スプラを嫌いになってしまう瞬間が来てしまうかもしれない…
っていうのが、今日の記事のメインテーマ。
ちょっとスプラ2時代の自分の話をしようと思う。
自分がウデマエXに上がった直後、その月の最終値が2200だったんよ。
「あれ?これもうちょい頑張ったら2300なんてすぐ行けるんじゃね?」って思ったんよね。
で、そっから冬の時代が到来しまして、まあ 2300どころかXをキープするのもやっとだった。なんならS+落ちもしてたし、2300チャレンジなんて、夢のまた夢みたいな感じだったんだよね。
でも、ずーっとスプラが好きで練習してた。
いまは通話とかできないんだけど、その頃はチームを組んで大会とかに出てたんよね
で、そのとき一緒のチームでやってたフレンドさんたちは2300にはまだ行けてない状態だったんだけど、大会練習とかを通じてだんだん上手くなって2300を超えたんよ。
1人行けて、また1人行けて…
最終的にチーム4人の中で2300に行けてないのは俺だけになったんだよね。
オレ以外の全員が2300に到達した。
で、ちょっともうほんと人間臭い話になるんだけど…
23いけたっていうフレンドに「おめでとう」って言う言葉はかけてた。実際そう思ってた。
でも、心のどっかでは「なんで自分は23に行けないんだろう。」
っていう、このなんて言うんだろう…
モヤモヤした感じ?うーん、イライラした感じ?
そんな気持ちが腹の底にずーっとあったんだよね。
で、やっぱ自分も23に行きたかったから、ガチマをすげえ頑張ってた。
頑張ってたんだけど…
まあ頑張ったから行けるもんでもなくて…
結果としてその時は23行けなかったんだよね。
「2300にいけるはずなのに、 2300になれない自分」
勝手に自分はいけるものって思ってたし、
いけない自分に腹が立って、腹が立ってしょうがなくて…で、スプラを嫌いになりそうだったんよ。
ガチマをやるたびにマジでイライラしてた…
だからガチマやるのやめようと思った。
で、リーグマッチに逃げたんだよね。
そっからフレンドさんと2リグをずーっとやってた。
一人でやるガチマと違って、フレンドとの2リグはめっちゃ楽しかった。
ガチマで感じてたイライラってなんだったんだろ?って感じw
ガチマで勝てないとめちゃめちゃイライラしたけど、フレンドと勝利を目指す、その中で負けたとしてもすごく楽しかった。
ほんとにほんとにすごく楽しかった。
フレンドと遊ぶって中で、純粋にスプラを楽しめた気がした。
そんなこんなを半年ぐらいやってたんかな。ガチマから遠ざかって半年…
時間が経って、やっぱり自分ってスプラが好きなんだな、もっかいガチマをやってみよう!っていう気持ちになったんよね。
それでようやく2300に到達することができた。結局ウデマエXになってから2年ぐらいかかったんだっけか。
ずーっと2300にいけなかったので、ほんとに達成感はものすごいあったんだけど、それよりもずっと一緒に遊んでくれたフレンドに感謝しかないって思いだった。
ま、結局なにが言いたいかって言うと楽しみながら継続することによって、ウデマエは上がる。
いや、これたぶんウデマエが上がんなかったとしても、別にそれで良かったと思うんだよね。
だってオレは…
フレンドとスプラを遊べて、めちゃめちゃ楽しい時間を過ごせた。それでいいんじゃね?
ウデマエが上がったっていうのはそれはそれで嬉しいんだけど、それよりもフレンドと一緒にスプラを楽しんだ時間が自分にとって良かったなって思う。
ちょっと話は変わって英語の話になるんだけど、よく「どうやったら英語を話せるようになるの?」って聞かれることがあるんよ。
いつも「自分の好きなことを英語でやったらいいよ」って答えてる。
自分の場合は本を読むのが好きだった。もともと本を読むことで日本語を覚えたフシもある。
だから「日本語で本を読むのが好きだから、英語の本読めばいいや 」って思って、ずっと洋書を読んでたんよ。
ハリーポッターの英語版をずっと読み進めてって、最終巻まで読み終えたんだけど、継続して本を読んでいた時間が英語の上達の鍵だったんだなぁって思う。
なんでそんなに読めたの?って聞かれたら、単純にハリーポッターが面白かったからだよね。
よくいう英語の上達法とかで、例えば
・単語いっぱい覚えましょう
・ニュースをいっぱい見ましょう
・シャドーイングをしましょう
・ディクテーションをしましょう
みたいな、勉強っぽい勉強って楽しくないやん。そういうのスーパー嫌いだったw
そういう勉強ばっかりやってたら、英語やめてたかも知らん
そんなことより…
この次の物語はどうなっていくんだろう?ってワクワクしながらハリーポッターを読んで、それに没頭できたんよね。
正直、わからない単語とか理解できない文脈とかいっぱいあったけど、分からない単語があっても読み進めていける力っていうのがついたんじゃないかな?
なにが言いたいかって言うと、人間は自分自身が楽しいって感じることじゃないと一つのことを続けられない。
だから、「うまくなりたい」って思ったとしたら、スプラの中で楽しいって思うことをやってけばいいんじゃないかな
例えば、
・フレンドとオープンで遊んでみたり
・サモランをやってみたり
・ヒーローモードで、RTAに挑戦してみたり
なんなら息抜きでナワバトラーをやるっていうのもいいのかもしれないw
オレに関して言えば、今は通話をするっていうことができない環境になったので、また違ったスプラの楽しみ方をしてる。
今書いているnoteの記事や、Twitterで動画クリップを見てもらって、「参考になりました!」とか言われるとすごい嬉しいし、誰かの役に立ったなって思える。
そういうスプラの楽しみ方、スプラの世界との接し方をやってければいいんじゃないかな。
まあ、それでウデマエが上がるかどうかはまた別の話。ウデマエは上げたいとは思ってるけど、別に上がんなくてもいいと思うんだよね。
だって、スプラを通して楽しんでる時間が自分にはあるから。
楽しめてる自分がいる。
だからその、「ウデマエを上げる」ってことに固執するんじゃなくて。
スプラトゥーンっていう世界を通して、楽しめる時間が持てればいいんじゃないかなって思うんよね。
ま、ちょっといつもと言ってることのテイストは違うかもしれない
スプラをやっていたらうまくなりたいって思うのはすごく自然なことだし、それに向けて努力してるっていうのはすごくかっこいいことだと思うんだよね。
特にお父さん、お母さんのプレイヤーさん。
時間があまり使えない中で、その中でスプラをうまくなろうって努力してるのはすごいかっこいいことだと思う。
だけど「うまくなりたい」って気持ちが空回りしすぎて、「うまくならなきゃ」ってプレッシャーを感じて、自分はもっと「うまくなってるはず」って焦ってしまったとしたら…
自分で自分の首を締めていってしまってるのかもしれない…
せっかく好きになったスプラトゥーンやん
もっと肩の力を抜いていこうやで!
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