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日々是教訓_2024/4/25


・「手段を目的化するな」という教訓がある。有名な言葉であり、意味も理解しているつもりではあるが、なんかストレートに頭に入ってこない感じがする。

・ここでいう手段は、本来の目的(ややこしいので以下「大意」と表記)を達成するために行うことであって、「手段そのものが達成されること」は必ずしも「大意を達成すること」とイコールになるとは限らない。

・なんなら手段の達成にこだわるあまりに大意の達成からは遠ざかってしまうことすらあるから、この格言の視聴者諸君はそのような目に遭ってくれるなよ、ということが言いたいわけだと考えられる。

・「手段」はサブタスクと表現するとわかりやすいと思う。カレーを作るにあたっては、ホールスパイスを炒める/玉ねぎを炒める/肉と炒める/パウダースパイスを入れる/トマトと和える…などのサブタスクに分類できるが、例えばここでスパイス狂信者が自慢のスパイス知識をアピールしたいがあまりに訳の分からないスパイスをモリモリに入れたとしても、肝心なカレーの味(大意)が落ちてしまっては意味がないのである。


・教訓:レトルトで例えた方が絶対伝わる

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・「手段を目的化するな」は、「手段の目的」と「大意の目的」という2要素が入っているためにややこしい言葉になっている気がする。

・それに、大意を要素分解して細かなステップの達成を積み重ねる、というアプローチ自体はごくごく有名なものであるし、それ自体が悪いことでは全く無い。大意が大きいものであればあるほど、関わる人数が多ければ多いほど、人一人が扱えるレベルのサブタスクに落とし込むことは大事になる。

・タスクをなるべく小さい単位まで分解して、誰がいつまでにやらなければならないか表現したものをWBS(Work Breakdown Structure)といい、進捗管理に使用したりする。プロジェクトマネジメントの世界では最も有名なスケジュール管理手法の一つだ。

・つまり、「手段を目的化するな」とはいうが「手段に目的を設けること」自体は何ら間違ったことではないのである。



・教訓:「ごくごく有名」はちょっとジュース感が強すぎる

・教訓:「人一人」はちょっと顔文字に見えなくもない

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・では、手段を目的化することの真の問題は何か。


・ここで想定されている失敗のルートは①「大意に対して複数の手段(サブタスク)に分解する」⇨②「サブタスクに目的を設ける」⇨③「サブタスクの達成そのものを目的に据える」⇨④「大意を見失う」⇨⑤「大意に反した行動をとってしまう」だと考えられる。


・①〜③までに何ら問題がないというのは前述の通りだ。それよりも、読んでいるだけでも明らかに問題がありそうな部分がある。④くん、君のことだよ。


・冒頭で触れた通り、悪さの原因は「大意を見失ってしまうこと」である。この教訓が本当に言いたいことは「手段を目的化するな」ではなく、「大意を見失うな」なのだ。最初からそう言え。


・で、さっき①〜⑤のルートを挙げたが、これって「手段を目的化するな」という教訓から得られる「言いたいこと」をメインタスクとした場合、①〜⑤はそれを構成するサブタスク、つまり大意に対する手段だと言えませんか。言えますよね。続けますよ。聞いてる?


・「言いたいこと」はめっちゃ雑に言うと「大意を見失うとよくないことが起きたりよくない状態になってしまうから気をつけろ」である。

・「手段を目的化するな」について、手段の目的化は③にもある通り「大意を見失う」ための手段に過ぎない。つまり悪いこと(教訓の大意)を端的に表せている部分でもないのだ。何だお前。

・結局、本当に言いたいことの「手段」でしかなく、さらに正しく言いたいことを表せているわけでもないことを考えると、「手段を目的化するな」という教訓それ自体が、手段を目的化して失敗してしまっている典型的な例と言えるのではないか。


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・教訓:「大意」という単語をさも「主目的」みたいな意味で使っていたが、大意には「おおよその意味」みたいな意味しかない。「大義」の方がこの文章の表現としては正しい。違和感なくすんなり読んでいたお前ら、騙されるな。


・教訓:「大意」という単語は、何度も使っていると「大便」「便意」と言う単語を同時に想起できる、ウンチのハッピーセットみたいなものに思えてくる。


・さようなら。

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