マルチバースは隣に_2023/3/13

・昨日は後輩のライブに出演させてもらいました。久々に会う後輩多くて楽しかった。

・結構「note毎回見てます」と話しかけてくれることが多かった。興味持って見てくれてることも嬉しいけどこうして会った時に一つの話題となるのもいい傾向。やっぱみんなダイエット関連の話題好きなんだな。

・「減量中なんですね」と言われるの普通に恥ずかしいが、まあこうして宣言することで継続できるわけだしな。弱み的な部分も隠しすぎずに行きたいね。




・今日は休みだったので映画館へ。

・最近は結構意識して行くようになった。サブスクで映画を見るのもいいけど、いつでも手が出せることによる自分の中でのハードルの低さが娯楽の質そのものを下げてしまってる気がする。

・映画館で鑑賞するとなると確定で2時間以上は拘束されるしお金もかかる。故に観る作品は勿論吟味するし、停止や巻き戻しができないから情報を取りこぼさないようにかなり集中する。こうして過ごす時間が結構好きだったりする。

・あと映画館の雰囲気も好き。宣伝を見てる時間もそれなりにワクワクするし、いざ本編が始まる時の照明がフッと消える瞬間は独特の高揚感がある。と同時に途中でトイレ行きたくならないかな…という不安にも襲われる(たまにホントに行きたくなった時は最悪)。

・あと、観終わった後にネットの感想とか解説・考察記事を見て腹落ちするところまでがワンセットになってる気がする。

・ある程度子供も観るような完全にエンタメに振り切った作品でない限り「どういう意味?」とか「こういう解釈でいいんだよな…?」となるタイミングが自分の場合ほぼ確定で存在する。展開だけじゃなくて、人物の心情とか表現とかも含めてね。

・巻き戻しができないし次の展開にも集中する必要があるので、思考や解釈がまとまっていない状態でそのまま最後まで観ることになる。これが作中複数回起こる。

・映画館を出た後は「面白かった」とか「映像すごかった」っていう一次的感想を頭に浮かべつつ、帰路のカフェとか自宅とかでその映画の解説とか感想のコンテンツを必ず見る。ここである程度どういう作品であったか、何が言いたかったのかが自分の中で整理され、脳内にピタッと収納される。ここでようやく鑑賞終了となり、自分の中にこの映画が取り込まれる。

・毎回本当に内容がわからなくて調べてるのではなくて、自分の受け取り方が正しかったのかを確認する照合作業的な意味合いが大きい。理解できているかを確認しないままでいられない的な。

・客観的な物差しがないと自分が作品を飲み込めたかどうかを実感できないというのはなんか虚しいな。映画通の人とかはその辺どうなんだろ。自己完結できてる人が多いんだろうか。


・ちなみに「RRR」は考察など一切見てません。あれは色々考えること自体が野暮。ラーマビーマ(ダブルピースしながら)。

・いい加減今日観た映画の話をします。コレです。

アカデミー賞で話題ですね

・ざっくりあらすじ。コインランドリーを営むパッとしないおばさんが主人公。優しい旦那さんと少しナイーブな娘、介護が必要な父親がいる普通の家庭だが、家庭環境はギスギス気味。

・確定申告?に行った時、唐突にとあるバース(別の可能性から生まれた世界。パラレルワールド的な)から干渉され、他のバースに移動できる能力が発現する。現在どうやら全てのバースが存続の危機にあるらしく、主人公は突然あらゆる世界(宇宙)の未来を託されてしまう。

・自分で書いてて訳が分からんな。続けます。

・主人公にも「カンフーの達人になった未来」「大女優になった未来」「料理人になった未来」「歌手になった未来」みたいな今とは違うあらゆる可能性から生まれたバースが存在してて、(とある条件はあるが)能動的にその世界にアクセスすることができる。体験した別世界の能力は元の身体に還元できるらしく、これを駆使してカンフーを始めとした様々な能力で大暴れして悪と戦う。

・この設定を活かして様々な画風の表現(人形になったりイラストになったりもする!)や名作映画のオマージュなどがたくさん出てくる。こういうのメチャ好き。あと「生命が誕生する条件が揃わずただの荒野となった世界線が大多数である」という話も出てくるんだけど妙にリアルで良い。

・表層的な事で言うと映像とか音響の効果がかなり大きいタイプの映画だったので、絶対映画館で観るべきだと思う。結構自分は洋画とか派手な映像の作品が好きなのでめちゃ良かったです。好み分かれるのかな?でもアカデミー賞総ナメらしいから普通に幅広く人気ってことでいいんだろうな。

・全宇宙の危機に立ち向かっていたのが、最終的には当初直面していた家族の些細な問題に集約されていく。家族愛パートは蛇足という意見もあるみたいだけど個人的にはいい落とし所だったと思う。結論超面白かったです。

※勿論今回も解説コンテンツを視聴済み

・こっから若干のネタバレ注意で。あんま核心すぎるところは言わないようにします。


・物語中盤、主人公が運命を託される理由として、作中の主人公は「何もうまくいかなかった世界線」であることが明かされる。このバースで主人公はあらゆる選択を誤り、その度に成功を収めた別のバースが生まれているのだと。

・このバースの主人公はゼロだからこそ実は無限の可能性があり(巨大な木の枝分かれする前の幹みたいなもの)、あらゆるバースの能力をポンポンとダウンロードできるらしい。主人公っぽい性能で夢があるな。

・我々も生きてて選択を間違えることなんて死ぬほどあるし、完全に成功した世界線だと思える人など大谷翔平以外はほとんどいないはずで。自分ってどうしようもない人間だなとか思う無力感にたびたび襲われることもあると思います。

・だからこそ、みたいな可能性を提示してくれるような、現在の多様性も未来の多様性もすべて肯定してくれるような内容で、それでいてメチャクチャなアクションコメディだし、最後は家族愛モノとして綺麗に着地するところが凄いと思ったなあ。

・広告なんかで多用されているギョロ目のモチーフは作中で出てくるとある概念との対比になっていてそれも美しかった。ラストバトルあたりは各キャラの魅力も掘り下げるし展開も凄まじいし、ほんと、観て。みんな。早く。


・この映画、マルチバース(様々な世界線が存在するという概念)は勿論のこと、虚無主義みたいなものが重要なファクターとなる。この世でどんな生き方をしてもたかが知れてるし、と虚無感の中に生きるみたいな主義ね。詳しくは調べて。

・作中に全バースを渡り歩ける絶対的存在が居て、そいつは全ての可能性を見てしまい人生とは些細なものだという結論に至る。結果、全てのバースを無に帰したいという究極の虚無主義思想に陥っている。

・自分は比較的自己肯定感が高い方なので、虚無主義とか厭世主義とか反出生主義みたいなのは正直ピンと来ないです。言ってることは分かるけど共感はしてない。確かにそう思う人もいるだろうなあ…くらい。

・そりゃさ、ある程度こういう人生歩むんだろうなとか最終的に死ぬしとか、人生そんな大したものではないみたいな事はまあ分かるよ。分かるけどそんなこと言ってもしょうがなくね?という。どうせ生きてくことになるんだから(死=無なので)、ダラダラ文句言って何もしないのって建設的じゃないよねっていう。

・プロジェクトに対して文句ばっか言って根本的な策を言わない管理職とか思い出して最早ムカついてきたわ。全員人生という同じ土俵なんだからその土俵の上で自分が楽しいと思えるように生きたらいいじゃん。誰にも強制されてないんだし。

・もともと人生くだらないものと割り切ってても努力したりして極力良い方向に持っていこうとするのは楽しいじゃんね。一時の気分の落ち込みとかはあるだろうけどさ。


・この映画を観た後だと、何か努力している時は「良い方のバースに向かっているんだ!」と思える気がする。マルチバースの有無はさておき、それで努力できるなら良い考え方だよな。重要なのは真実じゃなくそれによって原動力が生まれる事。宗教と同じ(?)。

・今日の行動によって、ふとした時に隣のバースに思いを馳せてみるという選択肢を知ったバースに入ることができた。映画鑑賞ルート。

映画館近くにあった出汁の自販機

・「だしさえあれば何でもできる!」とか言ってるけどごはん/魚/玉子/肉/パスタ/野菜/茶碗蒸し がそもそも必要じゃねーか!独力で何にも出来ない癖に万能感出すな!!!

・残念ながら「出汁を過大評価する業者が存在し、かつそこにnoteで異議を唱える異常者が存在する世界線」があなたの今いるバースです。引き続きよろしく。

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