初稿、noteの役割と言語化の価値。

本日、noteをはじめます。

これは言語化の重要性を感じたから。
そしてよくよく考えると、身の回りのサービスが言語化の訓練に最適なのではないかと気づいたのです。

例えば、
・思ったことをTwitterでさらっと呟く
・考えたことを(物理的な)ノートにまとめる
・それらの思考の整理をnoteで行う
こうしたことを繰り返せば、言葉のセンスって磨かれるのではないかという仮説を持ちました。
なのでその検証のために、実験的にTwitterやnoteを始めてみようと思います。

最近、言語化の重要性を感じたきっかけが2つありました。

ひとつは、単純にアウトプットの機会が減っていること。
思えば中学校の頃は、生徒会活動等で発言したり、文章を書いたりする機会が多くて、かなり言語化能力は高かったと思います。例えば、人前で演説することも多かったし、当時からレポートを何万字と書いていました。

母校はわりと特殊な環境で、生徒会活動が盛んで、仲間同士で議論することが多かったのです。また、授業も詰め込み型ではなく、議論やレポートで評価されました。仲間と意思疎通するとき、あるいは授業の発言で誰かを説得するとき、常に高いレベルの言語化が求められていたのです。

でもそれが気付けば、感想は「やばい」「すごい」としか言えなくなって、「アレ」とか「ねー」とかで誤魔化すことも増えてきました。英語になっても一緒で、感想を聞かれても「Nice!」とかしか出てきません。

これは、高校からわりと受動的な勉強しかしなくなり、議論の機会が減ったからだと思います。そこで、言語化能力をきちんと鍛えて、もっと「Marvelous」とか「Brilliant」とか、サラっと言える人間になりたいのです。

もう一つは、仕事ができる人の言語化能力の高さに気づいたこと。
現実の事象を抽象化できること、また抽象的なアイデアを実行可能な具体的レベルに落とし込むこと。この双方向のスキルは、仕事をしていく上でかなり重要なのですが、ここに言語化が大きく関わっているのではないかと思います。

例えば、レベルの低い会話は得意でも、少し次元の高いまじめな話になると議論に参加できない人。その逆で、抽象的に物事を考えるのが得意でも、それを具体的に表現できない、いわゆるコミュ障に陥ってしまう人もいます。

こうしたことは、仕事をしていくなかで大きな支障になってしまう。うまくコミュニケーションが取れないという意味で、他人との間で問題が発生するという意味でも、また、自分の意思をうまく伝えられないときに、自分自身の中でのもどかしさが生じるという意味においてもです。

反対に、仕事ができる人は、現実で発生した課題の抽象化をしやすく、最短経路で問題解決ができるかもしれません。また、頭に浮かんだアイデアを具体化することで、他人を容易に巻き込めるかもしれません。身近にいる仕事ができる人はこれができています。言語化のスキルには、こうした「認識」と「伝達」における計り知れないメリットがあると思います。

では最後に、少しだけマーケットの状況を考えてみましょう。
ここでは、横軸に頭の良さを、縦軸に言語化能力の高さをとった、下の図のようなマトリックスを導入してみます。

ふつうの人は中心に固まりますが、このマスを出るとその特徴が掴みやすい。東大生は頭は良くても、言語化能力は極めて低いです。逆に頭はよくなくても、トーク力がものすごいひともいますよね。ですが、頭が良くて、言語化能力が高い人って結構少ないと思うんです。

このニッチな市場を、僕は目指したい。

どれだけうまく言語化できて、どれだけの頻度で投稿できるかわかりませんが、ひとまずこれが、第一歩。

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