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学校って、ずーっと変わらない・変われない。

きっと、木の机の頃から変わっていないことがあると思う。
未だにそのまま変わらないこと。

2017年春から働きだした小学校の現場。
その時には、当たり前に感じていたことが、
最近、不思議に感じたり違和感を感じたりする。

「きょうつけ、これから○○の勉強をはじめます」「はじめます」

日直の子どもたちの声と一緒に始まる授業。

当たり前に感じるけれど、最近、とても違和感。
なんだろう、なんだか軍隊!?

授業が終わるときにも。同じ挨拶。

挨拶で始まり、挨拶で終わる というより号令で始まり
号令で終わる。そんな感じがするのはワタシだけかな〜。

教室以外の場所での授業のときには
廊下で整列し、「これから○○へ行きます」なんて言って
整列したまま、その場所に向かう。

なんか、不思議に思える。

勝手に行けばいいのにと思うけれど、そうではないんですね。

どうなんだろう、こんな疑問を持つ人はいないのかな〜。

実は、ランドセルもよくわからなくなってきている。

小学生は、高学年になるとリュックに変える子が多い。
ランドセル、日本ではずっーとランドセルなのかな?

高学年の教科書は、上下巻がなくなりかなり重くなります。

教科書の置き勉できないのかな〜
道徳や図工、音楽、書写など、学校に置いていてもいいのに。

毎日、持ち帰るのは筋トレになるからかな〜。


なんてことを言うワタシは、高校時代は置き勉でした。
朝、学校に行って靴箱から教科書を出して教室に。

学ぶことにココロがいっていなかった高校・短大時代。

大人になって、母になってからが
一番学びたいと思っているかも。

学校での頭がいいと、社会での賢いとは違う。

学校の勉強って、なんなんだろう。

学校の勉強で肯定感が低くなることは避けたいな。

いろいろな可能性を

ワタシはどんな立場で支えていけるのか。

老体にムチ打ちながら、考え、行動していく。

それだけですね。


でも、やはりいろいろな疑問点は持ちながら、
違和感を感じながら、進んでいきます。

それって、なんか変!!! と。


読んでいただき、
ありがとうございます(*˘︶˘*).。.:*♡


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