青春は生きられない

青春は生きられない。

ずっと、「死にたい」と思っていた時がある。
地元の優等生として幼少期を過ごし、私立の中高一貫校を卒業し、超難関大に進学した僕は、ずっと青春ど真ん中を生きてきた、そんな僕が、初めて「死にたい」と心から思った。

最初は良かった。大学4年生になる時、「せっかくの大学生活ラスト1年、熱中できることをしたい」と思って始めたバーテンダー。雑居ビルの4階にある、小綺麗というには汚いし、小汚いというには綺麗なカウンター。身長は低いし、見た目は良くないけど、誰かを楽しませてあげることには自信があった僕にとっては最高のステージだった。初めて触るシェイカーに、個性的なお客様。毎日があっという間に過ぎていった。そんな毎日が心から楽しかった。

そんな僕は、就活もろくにせず、バーテンダーにかまけて留年した。別にいいやと思っていた。それでも周りの目は厳しくて、「お前これからどうするんだ」「何してるんだよ」「結局何もできないじゃん」とたくさんの雑音が聞こえてきた。周りがそうして社会という大海原を、遠くに見える太陽を目指して進む中、僕は毎日その太陽を見て、鬱陶しさを感じながら寝る生活を送ってきた。

本気で死にたいと思っていた時、閉店が決まった。あー店も死ぬんだ。そしてこの空間からやっと解放される。弱い自分、何もできなかった自分ともおさらばだ。全て日陰に捨ててきてやろう。そう思っていた。

そんな閉店間近、絶望に満ちたとある日の話である。




閉店も間近というのに、あいも変わらずお客さんは来ない。結局自分は何もできないんだなと思いながら、今日何本目になるかわからないタバコを取り出して、お客さんが忘れたライターで火をつける。
タバコは裏切らない。火をつけて、吸った分だけ燃え広がる。僕の真っ黒な心いっぱいに吸い込んで吐き出す。何度この煙のせいにしただろう。

そんなことを思ってぼんやりしていると、重い鉄扉がギギッと音を立てて開く。満タンになった灰皿にぐしゃぐしゃとタバコを押し付け、慌てて席を立って出迎えると、近所に住んでいる少し癖のある常連だった。確か年齢は80ぐらいで、昔テレビ局のカメラマンとして働いていたらしい。いつだか自慢気に写真を見せてもらったこともあったし、今の「お偉いさん」を連れてきては「こいつらがお前ぐらいの時から面倒見ててさー」なんて言いながら豪快に笑っていた。

「おう、お前か」
うちはシフト制だから、その日のマスターが誰になるかはいつもTwitterとかInstagramで報告をしている。けれど、80にもなる彼にとってはそんなことは露知らずで、来たい時に来て、居たい時まで居る。俺はというと、50以上も離れたそんな彼が大好きで、全然名前を覚えてくれないけど、いつも楽しかった。

「閉店するんだってな。聞いたよ」
彼はいつも注文をしない。僕はいつも彼に出してたバーボンソーダ割りを作りながら小さく頷く。どうせこの人も「お前これからどうするんだ」と説教を垂れるのかなと思った。彼はお礼も言わずに一口飲むと口を開く。

「お前、楽しかったか」
僕は何も言えなかった。熱中できると思って始めたものの、結局周りと比較して逃げて来ただけで、毎日毎日苦しかった。時折顔を店に来てくれる大学の同期はみんな明るい顔してて、そんな彼らにタバコの煙を吹き付けてた。毎日毎日太陽を見てから寝てた。いいことなんて何一つなかった。そう思ってた。でも何も言えないのもアレかな、と思って、黙ってタバコに火をつけた。

「結局」
黙ってた僕を見かねて、いきなりバーボンソーダ割りを飲み干すと、彼は続けた。
「青春っていうのは、自分が一生懸命生きてきた過去について、今から振り返った時につける名前でしかないんだよ。俺にとってはカメラマンやってた時だって、うちのやつと旅行に行ってた1ヶ月前だって今となっては全部が青春なんだ。80年という大したことない俺の人生全てが青春だった。」

僕は黙って、ゆっくりゆっくり燃えていくだけのタバコをぼんやりと見つめることしかできなかった。なんだよ、わかってるよ。結局自分が今まで培ってたものにすがる事しかできない弱い自分だってことは知ってる。ボロボロになるまで読み古した思い出のアルバムに大きく刺さる。この2年間はそのアルバムに何も増やせなかった。

「だから青春は生きられないんだ。昨日を生きることはできないだろ?この店がなくなることは寂しい。でもお前も次のステップに進まなきゃいけないんだ。時間は止まることを知らない。」

目の前が歪む。タバコの煙でも入ったかな、涙が止まらない。

「今俺らができるのは、何年後かに今日を振り返った時、今日を『青春』と名付けられるように生きていくことなんだよ。正直に。どんなに歪でもいい。お前がこれから進む道なんてどうせ茨道だ、ろくすっぽ舗装もされてないだろうよ。それでもいい。」

もう、喋れなかった。声が出なかった。

「いつかその道を『青春』って呼んで笑ってくれよ。だから今日は、今日だけは、思い出して笑おう」
そうやって僕に奢ってくれたレーベンブロイは、慌てて準備したから全然冷えてなかった。美味しくもないし気分でもなかった。でも心にじわじわ広がって来て、僕の体を暖かくしてくれたから、冷えてなくてよかったと心から思った。あの日のレーベンブロイのぬるさとタバコの煙は僕の心に今でも染み付いてる。




あれから3年が経とうとしている。

ずっと終わらないと思ってた大学生活も、同期から2年も遅れたけどやっと卒業した。平成も、あと1ヶ月経たずに終わりを迎えて、素知らぬ顔で令和がやってくるらしい。そんな僕はというと、今では雑居ビルの5階に小さなオフィスを構える会社で、1階から上がってくる豚丼の匂いになんとも言えない感情を抱きながら毎日パソコンと睨み合ってる。変わらないと思っていても、ちゃんと変わっている。

いつの日か。
それがいつになるのか、どんな人になっているのかは知ったこっちゃないけど。
あの時の自分に『青春だな』と言えるように、今日も僕は、散りかけの桜をぼんやりと眺めながら、あの時と同じタバコに火をつけた。

親にはいい加減やめろと言われてるけど、やっぱりタバコはやめられない。やめたら嘘つきになってしまいそうだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?