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ぼくがはじめておいしい酒を飲んだ夜のこと

みなさんには「大人になったな」と思う瞬間はあるだろうか。

当然たった一度しか感じないものではないと思うけど、ぼくには強烈に感じたときがある。それは大学生になったときの挨拶。挨拶は「おはよう!」から「お疲れさま!」になるし、遊びに誘う時の文句も決まって「飲みに行こうぜ!」になった。友だちとの挨拶が少しずつ変わっていくのを感じて、ほんの少し大人になれたかもしれないと心が踊ったのを今でも覚えている。特に「飲みに行こうぜ!」は大人しか使えない魔法の言葉だと思ってたぼくは、毎日のように「飲みに行こうぜ!」と誘っては誰かと飲みまくってた。

とはいえ、別にお酒が強かったわけでも好きだったわけでもなかった。高校の自販機に売っていたマウンテンデューの方が何倍も好きだったし、今でもいちばん好きな飲み物は三ツ矢サイダーだ。お酒を飲むなんていうのはちょっとした背伸びでしかなくて、「お酒を飲んでいる空間」にただ浸りたかっただけだった。

しかも当時のぼくには、「ビールを飲んではいけない」というお達しを両親から受けていた。体調が悪かったり精神的に安定していないときにラーメンや油そばと言った麦の入ったものを食べると、全身がNARUTOの呪印のごとく蕁麻疹に冒される体質。今思えば小麦と大麦で厳密に言えば違うものだから問題ないし、今も体調に異常をきたしていないから親心からの小言だったわけだが、蕁麻疹には嫌な思い出しかないのでその忠告を守って飲み会には参加していた。だから「とりあえず生」が飲めなかった。カシスオレンジやピーチオレンジを飲んで「こんなのジュースだ」とかいいながら2時間飲んでいた。

大学1年生の1月、サークルの幹部を決める選挙が行われ、その打ち上げがあった。コートのポケットから手を出したくないぐらい寒かったのを覚えている。大学近くで古くから営まれてるボロボロの居酒屋で、50人ぐらいがすし詰めになって瓶ビールを飲んでいた。この日選挙で当選した先輩は、後にも先にもこれ以上好きな人は生まれないだろうと思っているぐらい大好きで尊敬している人だ。いろんなひとからお酌され、全然飲めないのに一生懸命飲んでいた姿は今まで見てきた姿の中で3番目ぐらいにカッコ良かった。と同時にこんなハレの日に同じお酒を飲めない自分が本当に嫌だった。事情を知っている優しい先輩は絶対にビールを出してくれない。分量が適当なカルピスサワーだけが注がれてくる。こんな酒は飲みたくない。そう思ったぼくは甘ったるいそれを飲み干して、はじめて先輩に歯向かった。ほろ酔い気分で言ってやった。「俺にもビールを飲ませろ」と。いままでこんなことはなかったからびっくりしたと思う。いろいろ忠告も受けた。それでもぼくは一歩も引かなかった。死んだっていい。どうしても先輩のお祝いにビールが飲みたかった。

自分のグラスにはじめて注がれていくビール。グラスを持つ手は震えていた。誰かの音頭で乾杯。目をつぶって一気に飲み干す。噂に聞いてたのどごしなんて何も感じなかったし、やけに炭酸は強くてお腹に一気にたまるし、味なんて飲めたもんじゃない。ちょっとでもいいなと思えるのはグラスの底から上がってくる小さな気泡の輝きぐらい。でもこのどうしようもなくマズいビールの味が、他のどんなときに飲んだビールよりも心の奥にしっかりと染みている。ただ「おいしい」と思うだけじゃなくて、先輩の少し涙ぐんだ笑顔とか、飲みすぎて吐きまくってる同期とか、うるさくしすぎたのか、少し怒った表情で追加の瓶ビールを持ってくる店員さんとか、あの日そこに確かにあったすべてのことが今でも思い出される。たった一口でこれだけのことを思い出してくれる「おいしい酒」はないだろう。

ぼくはそれ以来、「とりあえず生」を何十回何百回と飲んできた。親からの小言なんていつの間にかなくなってたし、今では後輩に「こののどごしが〜」なんて言ったりしてしょっちゅう飲んでいる。学生時代には誰かと飲むお酒のおいしさをもっと伝えたくてバーテンダーもやったりした。なかなかうまくいかなかったけど、お客さんと一緒に飲んだお酒はおいしかった。たった一夜のあの一杯で、ぼくのお酒に対する向き合い方が変わってしまった。マンガの主人公みたいなでっかいエピソードには今も出会えてないけど、ぼくにとっては『マトリックス』のトーマスみたいに「仮想世界」から抜け出せた一杯だった。もしあの日カルピスサワーを飲み続けてたらまた違う人生があったと思うと、少しゾッとする。


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このご時世、飲食店は大きな打撃を受けていると聞く。それでもぼくは「三密」なんて言葉も生まれて、どんどん足が遠のいていくのをただ見ていることしかできなかった。今ではデリバリーを始めたり、先に代金を支払っておくシステムで支援したりとあらゆる方法で対策されているが、本来の価値提供ができてるわけではない。飲食店が提供しているのはご飯だけではなく、スタッフのみなさんやカトラリー、その日の天気を全部使った「体験」だ。あの日ちゃんと洗ってもないだろう小さなビールグラスで飲んだビールはお世辞にも美味しい代物ではなかった。でもぼくの人生を振り返っていちばんのビールはあの日の生温い瓶ビールから変わることはないだろう。おおげさかもしれないけど、そんな人生を変えてくれた「体験」をいつかこの手で作れたらな、と心から思う。

最後まで読んでいただきありがとうございました。いつかこれを読んでくれたあなたを「飲みに行こうぜ!」って笑いながら誘って、ボロボロの居酒屋で乾杯できることを願っています。

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