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牡丹か椿かはどうでもいい

神戸に住むようになってから、牡丹の花をよく見る。たしか、牡丹のような葉がテカテカした種類は照葉樹林といって、日本の南側に多かったはずだから、関西で牡丹をよく見るのは地理的に妥当なのだろう。

ある日、友人と歩いていたとき、また牡丹を見かけた。
「この花、よく見るんだよね。牡丹かな」
と私が言うと、
友人が、何気ない様子で
「ああ、椿じゃない?」
と言った。私はその場では、そうだね、椿だね、とでも言って友人に同意したのだろうが、心の中では、
違う!あれは絶対に牡丹だ!!!
と思っていた。
椿と牡丹はよく似ている。つやつやとした葉も、鮮やかな花もその大きさもそっくりだ。けれど二つの間には分かりやすい違いがあるらしい。椿は花が一輪ごとポトっと落ちるのに対し、牡丹は花弁がぱらぱらと一枚ずつ落ちる。私が神戸に来てよく見るようになったのは間違いなく牡丹の方だ。

ただ、私がこのことを知ったのは最近のことである。神戸に来る少し前にラジオで聞いたのだった。それまで私は椿を見た記憶はあっても牡丹を見た記憶はない。椿との見分け方どころか、牡丹が椿に似ている花だということさえ知らなかった。有名な昼ドラの名前「牡丹と薔薇」で、牡丹という花があると知っていた程度だ。

友人が何ということもなく牡丹を椿だと言ったように、多くの人にとって牡丹か椿かなんてどうでもいいのだ。私だって前はそうだった。ただ見分け方を知っていることを鼻にかけているだけなのだろう。

私の家の近くに特に美しい牡丹の木がある。その木は家屋から道路にせりだすように伸び、その下を通ると、頭上から鮮やかな花びらがはらはらと降り注ぐ。地面はそこの部分だけまばらにピンクに染まっている。

きっと牡丹か椿かなんてどうでもいいんだろう。たぶん私はつまらないことにこだわって面倒くさい人のだろう。
ただ、私が美しいと思ったのは牡丹なのだ。どっちでもいいんじゃない。一緒にしたくない。牡丹の方が目立たなくても、私が好きなのは椿じゃなくて牡丹なのだと、
強く、こころの中だけで思うことにした。

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