子どもで大人な23歳

子どもの時に何回も転校した私は、幼稚園や学校でもどこか肩に力が入って過ごしてることがあった。

転校先によっては、めったに転校生が来ない、初めて転校生を見る子がほとんどという町もあって、そういう所ではそれなりに大変だった。

方言が分からなかったり、その幼稚園や学校独自のルールがあったり、突然クラスに入ったことで仲間外れにされたり…。


でも、転校生を経験して良かったなと思うこともある。

その中の一つが、ずっと地元にいたら出会えなかったであろう先生たちと出会えたこと。

友達もそうなんだけど、私は先生に関して本当に恵まれてると思う。


地元からも湘南からもかなり遠くの町での担任の先生は、特に今でも忘れられない。


当時、社会人2年目で23歳だったその先生は、私から見て先生というより、お兄ちゃんみたいな感じだった。

サッカーも野球もバスケもキックベースも、鬼ごっこもジャングルジムも、いつも一緒にやってくれたし、それからラグビーやカバディ(知ってますか…?)も教えてくれた。

朝登校して、朝の会の前に会うと少しの時間でも一緒に遊んでくれたり、サッカーやってるといつも声をかけてくれた。

いつもベルマーレの服を着てる私に、「ベルマーレどう?」とよく聞いてくれた。

授業で難しいことが出てきた時は、みんなが少しでも分かりやすいように、わざとおもしろく説明してくれた。

雨の日も体育館で全力で遊んでくれた。

体育館が他の子たちでいっぱいの時は、音楽室のドラムを叩きながらチャントを歌った。

親との二者面談で、たまたまその先生が言ったことを私の親が勘違いして帰って、私が怒られた時は、次の日に私と会うまで「自分の言い方がまずかったせいで、Nikoが家で怒られてるんじゃないか」と心配してくれてたらしい。

そういえば、スラムダンクもその先生が教えてくれた。


大人になるにつれて、先生という仕事は、子どもたちの前で教壇に立ったり、校内活動をしてるだけじゃなくて、それ以外にもたくさんの仕事があるのを知った。

あの先生も、いつも楽しそうに同じ目線で私たちと遊んでくれたけど、本当はそんな気分じゃない時もあっただろうし、仕事に追われてた時もあっただろうと思う。

実際、違うクラスの先生に「〇〇先生、ほんとは体調悪いのに、次の日の授業の準備に一生懸命だったよ」と聞いたこともあった。


私がそれまでに出会った大人の中で、一番私たちの目線で一緒に物事を見てくれて、損得や打算のないきれいな気持ちで毎日を過ごしてくれた大人だった。

親や親戚に対して尊敬や感謝の気持ちがないとかではなくて、その先生はちょっと他の大人とは違う大人だった。


授業中いきなり、黒板にめちゃくちゃ大きい字で板書して笑わせたり、授業の時間がまだあるのに「疲れたなー!しりとりするか!(笑)」となぜか急にしりとりしたり、学校行事で私たちよりはしゃいでたり、23歳のわりに子どもみたいな先生だったけど(笑)、そんな先生のクラスだったおかげで、悲しいことがあっても頑張れた。


「他のクラスの先生より、〇〇先生はすごく遊んでくれるけど、疲れないの?」とクラスメイトが聞いた時も、「全然疲れないよ!だって23歳だから!」と言って笑ってた。


とあるJリーグクラブの熱心なサポーターで、ユニフォーム着て通勤してた。

ユニフォームとジャージがよく似合ってた。

私も、先生みたいに大人になってもユニフォームが似合う人でいたいと思った。

先生には言ったことないけど(笑)


同じクラスには、違うチームのサポーターの子もいて、私を「ベルマーレ」と呼んできたり、授業で湘南地域が出てきたら「あ!Nikoのところだ!!」と言われたりした。


その先生は神奈川のチームのサポーターさんではなかったけど、「応援なんかなかなか行けないんだよなー。この遠さが嫌になる!!あーもうスタジアムに行きたいのに!!」と同じ遠方サポーターという立場で言ったりもしてて、たまにはこういうふうにぼやいたっていいんだ、と思わせてくれた。


自由勉強ノートがその学校には1人1冊あって、毎日提出することが決められてて、たまには勉強関連じゃなくても日記でもいいよ!と言われてた。

私は時々、サッカー日記を書いた。

ベルマーレの話もたくさん書いたし、湘南地域がどれだけ好きかも綴った。

将来サッカー選手になりたいとか、湘南に住みたいとか、実際に湘南地域出身の子と仲良くなりたいとか、いつかベルマーレに恩返しがしたいとか、もし選手として違う町でプレーしたとしても、ベルマーレはずっと大好きで特別だとか、いろいろ書いた。

先生は楽しい子だと毎回笑いながら、返事のコメントを書いてたらしい。

コメントもお兄ちゃんみたいに、いつも温かく見守って寄り添ってくれる内容だった。

そのノートに書いてくれたんじゃなく、言葉で言われたことだけど、

「これが好きだと言えるものがあることはほんとに幸せなこと。

これからも堂々とベルマーレを大好きでいるんだよ。

他のみんなと違っても、湘南地方を大好きって言うんだよ。

人を傷つけたり裏切ったりしなければ、好きに生きてもいいんだから。

湘南に住みたかったら、自由に住んでいいんだ。

僕がもし、湘南地方の人だったら、そんなに湘南を愛してくれて心から嬉しいと思う。

大好きなベルマーレと湘南地方を、ずっと大事にして生きていくんだよ。

そしたらNikoは必ず道も拓けるし、幸せになれる」

と言ってもらったのは、今でも私の心の中で支えになってくれてる。


先生は、「協調性は大事だけど、自分でちゃんと判断する勇気がないからといって、楽な方に流されるのは良くない。いつも自分の心に芯を持って」ということもよく言ってた。

あと、人に対して傷つくことをしたり、クラスメイト同士でも言ってはいけない言葉を吐いた時には、その子が泣いてても容赦なく怒ってた。

優等生じゃなくてもいい、でも人の気持ちに立てる人間になれと言って、礼儀や人としてのあり方には本当に厳しかった。

一緒にスポーツや外遊びを楽しむ合間に、手話も教えてくれた。

子どもみたいで、でももしかしたらもっともっと年上の人たちよりずっと大人で、不思議な23歳だった。


その先生は11月が誕生日だった。

その当日、「帰りの会で先生をびっくりさせよう!」とみんなで団結して、作戦を練った。

「みんなに言いたいことはありますか?」の日直の声に、みんなで手を挙げて、「先生、誕生日おめでとうございます!いつもありがとうございます!」と言った。

「えーっ?みんなどうしたの!?

もうそんな、やめてよー!24歳になっただけなんだから!

でもありがとうー!!」

と言って、めちゃくちゃ嬉しそうに笑ってた。

私も、そしてたぶん周りのみんなも、とても幸せな気持ちになった。

そういう日常の中のクスッと笑える出来事が、あの頃たくさんあったなあ。


先生の誕生日前日に、自主勉強ノートにも先生への誕生日おめでとうメッセージを書いた。

いつもはベルサポらしく、黒以外の色を使う時は黄緑と青ばっかり使ってたけど、その日だけは先生がサポーターをしてるチームの色で字の周りを囲った。


私がその先生を本当の意味ですごいと感じたのは、自分が23歳になった時だった。


23歳は無敵だ、疲れない!と豪語してたけど、23歳でもそれなりに疲れるじゃないか(苦笑)

毎日悩みなさそうだったけど、世間と自分の本心の板挟みになるじゃないか。

社会人としてちゃんとした言動を求められる一方で、上司や先輩からの圧力がすごいじゃないか。

あんなに子どもみたいなところがあると思ってた先生が、実はものすごく大人な心を持ってたということに気がついた。

荒れてる学校ではなかったし、比較的クラスもその学年も平和で穏やかだったと思うけど、それでも子ども同士のトラブルはあったし、父兄との関係にも悩んだと思う。

先生も、実は大変だったんだろうな。

ただ、23歳の私が親戚の子とサッカーやってた時、ふいにその子が「僕、大人になったらNikoみたいになりたい!」と言った時には、心の中で「よっしゃーーー!!」とガッツポーズした(`・∀・´)笑

後で聞いたら、「ベルマーレベルマーレっていつも楽しそうだし、いつもボール蹴ってるし、やたら神奈川というか湘南地域に詳しいし、ユニフォーム似合うし、笑ってるとこしか見たことないから」って、湘南とサッカーがよっぽど強烈な印象なのかと思ったけど(笑)


私はベルマーレが大好きなまま、湘南地域を愛し抜いたまま、大人になった。

一般的に私と同世代の女の人が盛り上がる話題は、相変わらずよく分からない(苦笑)

それでも、大好きなものを貫いて生きてるところに関しては、自分が好きだ。


大人になったからこその悩みや葛藤もある。

でも、私がどんな時でもそんな自分を貫けたのは、いつでも温かく接してくれる湘南地域のみんながいてくれるのもあるし、この先生との思い出があるからというのもある。


ベルマーレがその先生が応援してるチームと対戦する時、あの頃お互いに「絶対こっちが勝つ!!」と言ってたのを思い出しながら、懐かしくなる。


いつかまた先生と会えた時、改めてお礼を伝えられたらいいなと思うし、あの頃先生と会えて、サッカーとベルマーレが大好きで、今こんな大人になれたと伝えられるように、夢や目標を叶えられるように頑張りたい。

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