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【四念処経解説 奥義①】瞑想を邪魔する5つの障害

仏教の瞑想の教科書とも言える、『四念処経』

解説もいよいよ終盤戦です。

今回は、瞑想実践を妨害する5つの障害である「五蓋」について解説していきます!

あなたの瞑想を邪魔してくる「敵」を知ることで、瞑想をより深めていけることでしょう。

※YouTube版はアップ終了次第お知らせいたします。

内容
・ダルマ(法)ってなに?
・「四念処経・五蓋の部」紹介
・瞑想実践を妨害する5つの障害
・欲望と怒りについて

以下、今回扱った『念処経』の本文と解説です。
よろしければ、参考にしてください。

ヴィパッサナー瞑想の源流~『念処経:Satipaṭṭhāna-sutta』について~ ⑥ 

 (※略号:Ⓣ=ティク・ナット・ハン師 
㋜=アルボムッレ・スマナサーラ長老)

 ④心の対象に対する気付き(法随観) Ⓣ[2011:44-60]を一部修正

・「心の対象」=ダルマ(法)
→ただし、ダルマ(法)は非常に幅広い概念なので注意が必要!

・ダルマは「dhṛ(保つ・維持する)」という動詞の名詞形であり、広い意味では「世界や人のあるべき姿を保つ(維持する)もの」。
→そこから広範な意味が派生している。

・たとえば、自然法則も、法律も、社会道徳や政治理念、また宗教家の教えや世界の真理も、すべて「ダルマ」という言葉で表される。
(当然ブッダの教えもダルマに入り、今でも仏教はインドではブッダ・ダルマと言われる。ちなみにキリスト教はクリスト・ダルマ。)

・なので、その全部を観察するというのは範囲が広すぎて無理!

→ここでいう「ダルマ(法)」とは瞑想の成功(解放や解脱)のために必要な世界や心の性質を指している。

⑴五つの修行に対する障害の観察(五蓋の部)

比丘たちよ、修行者はどのようにして、心の対象(法(ダルマ))において心の対象の観察を続けるのだろうか?
まず修行者は、 五つの障害(五(ご)蓋(がい))について、心の対象において心の対象の観察を行う。その観察の方法はこうである。
❶心に肉欲(貪欲(とんよく))があるとき「自分の心には肉欲がある」と気づき、肉欲がないとき「自分の心には肉欲がない」と気づく。肉欲が生じはじめたとき、それに気づく。すでに生じた肉欲を放棄したとき、それに気づく。すでに放棄した肉欲がそれから後にも生じないとき、それに気づく。
❷心に怒り(瞋恚(しんに))があるとき「自分の心には怒りがある」と気づき、怒りがないとき「自分の心には怒りがない」と気づく。怒りが生じはじめたとき、それに気づく。すでに生じた怒りを放棄したとき、それに気づく。すでに放棄した怒りがそれから後にも生じないとき、それに気づく。
❸心に退屈や眠気(惛沈(こんじん)・睡眠(すいめん))があるとき「自分の心には退屈や眠気がある」と気づき、退屈や眠気がないとき「自分の心には退屈や眠気がない」と気づく。退屈や眠気が生じはじめたとき、それに気づく。すでに生じた退屈や眠気を放棄したとき、それに気づく。すでに放棄した退屈や眠気がそれから後にも生じないとき、 それに気づく。
❹心に動揺や後悔(掉挙(じょうこ)・悪作(おさ))があるとき「自分の心には動揺や後悔がある」と気づき、動揺や後悔がないとき「自分の心には動揺や後悔がない」と気づく。動揺や後悔が生じはじめたとき、それに気づく。すでに生じた動揺や後悔を放棄したとき、それに気づく。すでに放棄した動揺や後悔がそれから後にも生じないとき、 それに気づく。
❺心に疑い(疑(ぎ))があるとき「自分の心には疑いがある」と気づき、疑いがないとき「自分の心には疑いがない」と気づく。疑いが生じはじめたとき、それに気づく。すでに生じた疑いを放棄したとき、それに気づく。すでに放棄した疑いがそれから後にも生じないとき、それに気づく。

これが心の対象において心の対象の観察を保ち続ける方法である。このように心の対象の内や外から、または内と外の両方から観察する。心の対象において物事が生じつつある過程や消えていく過程を、または生じ消えていく過程を同時に観察し続ける。さらに、理解と十分な気づきがもたらされるまで、「ここに心の対象が存在する」という事実を注意深く受け止める。雑念にとらわれず、あらゆる束縛を受けずに、この観察を保ち続ける。比丘たちよ、これが五つの障害について、心の対象において心の対象の観察を行う方法である。

念処経(Satipaṭṭhāna-sutta)

・蓋(がい)(nīvaraṇa)とは「心を蓋のように覆って観察瞑想を妨害する障害」のこと。

・「これは基本的な心についてのダルマで、どんな人の心も、なぜ思う存分力を発揮できないかというと、この蓋が鍵をかけているからなのです。(中略)なぜ人は勉強ができないのか、能力がないのか、といえば、この五つの蓋にやられているからなのです。瞑想をしても、なぜ、自分の心は俗世間の次元を破って、自由な次元を見つけられないかと言うと、破るどころか、ここで押さえられているからなのです。それならば、先にその五つを知るべきなのです。五蓋というダルマは瞑想する人が必ず観察すべきものであって、これを観察しなければ、瞑想は先へと進めないのです。」㋜[2016:187]

→このように五蓋という心の性質の観察は瞑想の進展に必要不可欠なもの!

→そして、ここでもヴィパッサナーの原則通り、その障害をはっきり「五つ」に分けて観察する。(㋜[2016:186-198])

❶貪欲(とんよく)(巴: kāmacchanda):身体的な欲望。たとえば瞑想中に浮かんでくる「美味しいものを食べたい」とか「音楽を聴きたい」とか「はやく終わってテレビが観たい」とか「寝たい」とか「可愛い女の子とデートしたい」等々の欲望。

→これらが浮かんで来たら、「~したがってる…」「欲望、欲望…」などとラベリング。

❷瞋恚(しんに)(巴: byāpāda、梵: vyāpāda):怒りや嫌な気持ち。たとえば、「修行仲間がむかつく」とか「蚊やハエがうるさい、外の騒音がうるさい」とか「足腰が痛くて、もう嫌だ!」とか「なんでこんな朝早くに起こされなきゃいけなかったんだ!」等々、瞑想してると普段気にならない小さなことでも気になってむしゃくしゃしたり、嫌な気持ちになったりするものです。

→対策は、「怒り…」「嫌がってる…」「むかついてる…」「うるさいと思ってる…」などとラベリングしたり、怒りの対象となっているのが人であれば、いったん観察瞑想を止めて、「慈悲の瞑想」をするのも効果的。

❸惛沈(こんじん)・睡眠(すいめん)(巴: thīna-middha、梵: styāna-middha):だるさや眠気。たとえば「身体が重い、だるい」と感じたり、「やる気がでない」、「動きたくない」と感じたり、ぼうっとして妄想に耽ってしまうような状態です。そしてこれらの行きつく先が「眠気」です。これへの対処は本当に大変です。

→「重い…」「だるい…」「やる気がない…」などとラベリング。そして眠い時はことさらに強く、早く、自分を𠮟りつけるように「眠気…」とラベリング(ゆっくりやると寝ちゃう)。また姿勢を変える、目を開ける、歩く瞑想をするなどの方法も有効。

❹掉挙(じょうこ)・悪作(おさ)(巴: uddhacca-kukkucca、梵: auddhatya-kaukṛtya):心の浮つきと後悔。たとえば「落ち着かない」、「緊張している」、「もっと勉強や努力をしておけばよかった」、「なんであんなことしちゃったんだろう」「全部悪いのは俺のせいだ」などのような気持ち。

→瞑想中、これらの気持ちが浮かんできたら、「動揺…」「緊張…」「後悔してる…」などとラベリング。また、特に後悔や罪悪感には懺悔行や礼拝行(大地に触れる瞑想)なども有効。

❺疑(ぎ)(巴:vicikicchā、梵: vicikitsā):疑い、心に「迷い」が入ってしまうこと。事実や真理、有効性を検証するために「疑ってかかる」という態度はオッケーだが、「迷い」はよくない。たとえば、「こんな修行、ほんとに意味あるのかな」とか「あの先生の言ってること本当かな。信頼できるのかな」とか「違う場所で違うやり方を習ったほうがいいんじゃないかな」などの気持ち。疑いは持っていてもいいけど、検証中はそれにしっかりと集中すべき(科学の仮説の実証過程と同じ)。途中で迷いながらやってると、どこにも行きつけない。

→「迷ってる…」「疑ってる…」などとラベリング。あときちんと勉強して、知識をしっかりとさせておくのも有効。仏典の知識があれば、誰がどこで何を言っていてもそれが、仏教的に合っているか間違っているか、だいたいは区別できる(cf.オーム入信者の大半は知識が中途半端だった)。


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