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ボウズへの道のり(3年間の試行錯誤)

現在、35歳になりました。

今の髪型になり約5年ほど経過しました。昔からの知り合いに久々に会うと驚かれる一方で、ここ最近会う方だと違和感ないような印象を受けます。

元々、家系的にいつかは坊主だろうなと思っていたけど思いの外早くなってしまいそこだけが予想外でした。

せっかくなので坊主になるまでの年表とその時の想いに触れたいと思います。それと薄くなってきて坊主にしたいと思っている方の参考になればと思います。

第一形態~環境に伴う衰退(27歳)~

それは遡ること社会人4年目の頃に突如変化がありました。当時、勤務していたとあるメーカーで異動になりました。その異動先は、岐阜県にある工場でした。

工場の勤務スタイルがスーツから上下つなぎの現場作業着に変わり、工場内を歩くときは常にヘルメットというスタイルでした。夏場でも同様のスタイルであるとき事件がありました。

それはお風呂掃除をすると排水溝に妙に毛が詰まっているという現象でした。当時は、髪の毛を程よく伸ばしており(といってもショートですが)そこそこ毛量もあり気にしませんでした。

しかし、実家に帰ると母親から

「あんた薄くなっている」

という胸をえぐる一言に加え、当時、年齢的に結婚式の参加が多く久しぶりに大学時代の人に会うと妙に変な視線を感じました。

ここで初めて、「俺、薄くなってきてるのか。。。」という確信を得るとともに、岐阜での慣れない初めての暮らしとヘルメットというコラボによりストレスでやられていたような気がします。

第二形態~周りからのプレッシャー(28歳)~

薄くなることで、母親からの悲鳴が高まり「何とか結婚するまでは耐えてくれ」という謎のプレッシャーでまずは定番のサクセスを使用しました。

しかし、サクセスでは何も解決どころか事態は悪い方向に進み、サクセスの限界突破をあっけなくつきやぶりました。また、色々なスカルプ製品を試すも状態は芳しくない状態が続き日々、何とも言えない状態が続きました。

また、父親からは「俺は40過ぎまではもった」という謎の自慢をされ、家族の中でもすっかり薄毛キャラになってしまい飼い犬のワンちゃんにも冷たい目線を浴びられてしまったような錯覚に陥っていました。

知り合いからも「後ろから前に髪を持ってきすぎで、正直、ガン見しちゃう」という心にもないことを言われてしまいヘアースタイルを変えるなどして挽回をしましたが、無策に終わってしまいました。

第三形態~ピンチはチャンス(29歳)~

にっちもさっちもいかなくなり、さてこれはどうしたもんかとネットで色々と検索していたところ、とあるスキンヘッドの俳優が薄毛についてコメントしていました。

みんな、いずれは禿げるんだ。だから早いうちにスタイリッシュに決めておくほうがいい。そうすれば、後々誰にも“あら捜し”はできないだろう

…という励ましの言葉もありこれは一度、丸めてみようかと決心しました。

このときは、ジェイソン・ステイサムやドウェイン・ジョンソン、ヴィン・ディーゼルといった禿げていてもカッコいい俳優の映画を見て勇気づけられていました。心が弱っているときこそ彼らの映画で闘争心が沸々と沸き起こるので、禿げて心が落ちているときはおすすめです。

完全体(30歳)

ということで、まずは5ミリの長さをベースに横をカットして頭頂部をハサミで整えてもらうちょっと逃げのスタイルで試したところ案外と似合っているという自意識過剰に似た感じになりました。

しかし、このスタイルで過ごしたところ「かえって無駄な抵抗をしている」という何とも複雑な進言もあり、その後、結果的にハサミで整える逃げのスタイルから現在は3ミリで丸坊主にして落ち着きました。

さて、最後に長所と短所を述べていきたいと思います。

長所 
・髪がすぐ乾く→一瞬で乾く
・ヘアーカット安い→2週間に一度、1000円カット
※人によっては自分でカットするのでお財布に優しい           
・ヘアースタイルに悩まなくなる     
短所
・夏に弱い→直射日光にやられるので帽子マスト
・冬に弱い→寒いのでニット帽マスト
・スポーツ→汗をかくと滝行のようになるので帽子をかぶらないといけない
・手入れ→髪型を維持しないと薄いところが目立つ
・帽子→色々と購入数が増える                        

短所が多いのが気になりますが、といっても慣れてくればあまり気になりません。

まとめ

以上、ここまで赤裸々にまとめました。色々と当時を振り返ると試行錯誤の連続であり中々、同世代でも同じような経験をした人が少なく自分で考えていかなくてはなりませんでした。ということで、その当時を思い出しながら悩んでいる人の参考に少しでもなればと思いまとめました。

当面の間はボウズですが、この先のテクノロジーによっては昔に戻れるチャンスに期待しつつ過ごしていきたいと思います。


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