記事一覧
ひとり一人の育ちを感じる
どうも。おはようございます。
寺子屋共育轍の代表をしている蔵田翔です。
このラジオでは、日々子どもたちと関わるなかで、大切にしたいと感じたことをまとめています。
一つの話題提供として、活用してみてください。
それでは、今日は「ひとり一人の育ちを感じる」というテーマでお話ししていきたいと思います。
━━━━━━━━━━━
▼ アセスメントの視点
━━━━━━━━━━━
そもそも「アセスメント」
君のプシュケーを聞かせて
お寺や神社にいくといつも思い出す会話がある。
大学生のあの頃。暇を持て余していた僕は、友達とたわいもない話をして過ごしていた。
あの日もいつもと同じ様に、駄菓子をおつまみに安いビールを飲みながら、今年の夏がいかに暑いか。なんてどうでもいい話を熱く語り、飽きたらまた違う話をする。
そんな日々の中で、哲学専攻の友達からこんな問いかけがきた。
あのさ、プシュケーって知ってる?
なにそれ?響きめっち
ドラクエとドングリとカッパと
「そろそろ”あれ”行きます?涼しくなってきたことですし」
「いいっすねー。やりますか」
行くあても決めず、街に繰り出して、心がときめく方へとぶらり旅。
「なんか川行きたい。寒くなる前に川をみたい」
そんなよく分からない理由で、商店街の近くを流れる川に足を運ぶ。
人が一人ずつしか渡れない橋を縦一列になって渡っていると、思わず笑みが溢れる。
振り返りながら「なんかドラクエっぽいっすねー」
【日常のマチが好き】
あの日のやりとりが、喉に刺さった魚の骨のように、いまもまだ抜け無いままでいる。
当時、僕は大学生だった。
友人と四条でひとしきり遊んだ後、三条大橋の近くのコーヒーショップで買ったラテを飲みながら、等間隔に並ぶカップルを眺めていると、友人がこう言った。
「やっぱ遊ぶなら四条やな。これ以上あっちにはなんもないわー」
そのフレーズになにかモヤっとしたけれど、それを言葉にすることもなく
「あーね。
「マジ許すまじ」
みたいな、許されてるのか、許されてないのかわからない言葉が好き。
「表現すること」と「場づくり」
体験する場の多くは、無条件に表現することを求められることが多くて、いつも心を開くことに戸惑ってしまう。
「言葉」の表現だけじゃなくて「ものづくり」や「演奏」であったとしても、自分の中にある感覚や心を表現することだから、とっても臆病になってしまって素直に表現できなくなる。
表現する人の「心」と「場」の繋がりを意識して、繋がり合えるように「場づくり」をすることで、心に余裕が生まれて、お互いが表現す
イベントについて(メモ)
「ちゃんと体験すること」や「効率」ばかり重視されていて、子どもの気持ちが置き去りにしたイベントが多い気がする。
丸一日使ってでも、子どもの気持ちに寄り添って、一緒に作り上げて行く様なイベントをやりたい。